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2016. 04. 27  
日曜日の礼拝ではマタイ福音書をずっと読んできましたが、今はついに十字架の場面です。

十字架から復活へ・・ここに福音書のクライマックスがあります。礼拝から離れておられる方々も、ぜひお集まりください。お聞き逃しなく。

先の日曜日には、十字架から決して降りようとされなかったイエス様のお姿を見ました。

人々は「十字架から降りられない者など信じられるか」とののしります。でもイエス様は降りられないのではなく、降りないのです。

もしイエス様が、十字架から降りてしまわれたらどうなったのでしょう?

こういう黙想を深めて、イタリアの修道士が小説を書きました。そしてマーティン・スコセッシ監督により「最後の誘惑」という映画になりました。

カトリックでは上映禁止とされるほどのスキャンダラスな映画でしたが、私自身は、まだ洗礼を受けるずいぶん前に鑑賞し、イエス・キリストという方への思いを高められた映画でした。

今考えると、聖書の教えと異なる危ういところのたくさんある映画でしたが・・。

その映画の中では、イエス様は十字架を降りてしまわれます。

十字架の上のイエス様に、サタンは天使の姿で近づき、「もうあなたは十分苦しんだ。残りの生涯は自分のために過ごしなさい」と誘惑します。

十字架から降りたイエス様は、マルタとマリアを妻とし、数人の子が生まれ、幸せな日々の後に死を迎えようとされます。

でも、時はユダヤ戦争の始まり。エルサレムに火が放たれ、絶望が訪れようとしていました。

そんな中で、安らかに息を引き取ろうとするイエス様のところに、イスカリオテのユダが飛び込んできます。そして「おれはお前が十字架にかかる手伝いをするために裏切り者となったのだ。お前が十字架から降りてしまったら、一体、イスラエルの救いはどこにあるのか!!」と訴えます。

その叫びによって、イエス様は我に返ると、そこは十字架の上でした。

そうしてイエス様は、サタンによる最後の誘惑に勝たれて、「成し遂げられた(ヨハネ19:30)」と叫ぶのでした。

これは映画のフィクションに過ぎません。でも、十字架から降りようとされなかったイエス様の決意を、深く思い巡らすきっかけになればと思います。


共に祈りましょう。

我が救いのために十字架の苦しみを受けきってくださった主イエスよ、あなたの愛に満たしてください。私もまた、誘惑に打ち勝つ者となるために。神の御旨に生きる者となるために。
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