FC2ブログ
2016. 04. 28  
十字架の上のイエス様に、「他人は救ったのに、自分は救えない(マタイ27:42)」と、敵対者たちはののしりました。

でも本当は、「他人は救ったのに、自分は救わない」と言うべきなのです。

イエス様は、御自身の喜びのためには、力を用いられません。彼がなさった奇跡は、すべて他人を助けるためのものでした。

「自分自身を愛するように、隣人を愛しなさい」、これが最も重要な掟です(マタイ22:39)。イエス様は、この掟に示された以上の愛を体現して、私たちに見せてくださいました。

私たちには、それができません。それが、罪ということです。

中島みゆきさんの「with」という歌の中に、こんなフレーズがありますね。「時の流れは、ぼくに教えた。みんな、自分のことで忙しいと・・・。」

私たちは、みんな自分のことで忙しいと、よく知っています。なんだかんだで、みんな自分がかわいいのだと。

そういう人間の本性をよく知っている。そしてあきらめている。開き直ってもいる・・・。

でも、本当はどうでしょう。そんな風に、だれかに本当に愛されたいと願っているのではないでしょうか。

先ほどの「with」という歌も、そういう歌です。みんな自分のことで忙しい、ぼくのことなどだれも本当は大事に思ってなどいない、・・・だからこそ、君だけはぼくのそばにいてくれないか・・。

そういう願いを誰もが持っているのだと思います。だから、十字架のイエス・キリストのお姿に、心を引きつけられるのです。

そこには、他人は救ったのに、自分を救おうとされなかった方が、血を流されています。


共に祈りましょう。

主よ、あなたは、あなただけは、今日も私と共にいてくださるから、私は安心します。すべての孤独を、あなたがいやしてください。十字架の愛で私たちの心を満たしてください。
スポンサーサイト



NEXT Entry
2016年4月29日 Ⅱコリント8:9
NEW Topics
2019年10月18日 あなたも同じことをしている
2019年10月17日 弁解できない
2019年10月16日 人類の罪
2019年10月15日 石川ヨナライブにて
2019年10月11日 イザヤ51:4-5
Comment
Trackback
Comment form
 管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
FC2ブログへようこそ!

検索フォーム
カテゴリ
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR