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2016. 07. 13  
まるでおみくじのように、目をつむって聖書を開いて、そこに書かれている言葉を、今日の指針とする・・・そういう読み方は、いつもはあまりお勧めしていません。

それに反するために心苦しいのですが、今朝、別の黙想をしている際に、たまたま開いた箇所にあった御言葉に、心奪われてしまいました。

「預言者はあなたに託宣を与えたが、むなしい、偽りの言葉ばかりであった。
あなたを立ち直らせるには、一度(ひとたび)、罪をあばくべきなのに、むなしく、迷わすことを、あなたに向かって告げるばかりであった。(哀歌2:14)」


これは、罪の裁きとして、バビロン捕囚という悲劇にあった神の民に対して語られた言葉です。

裁きに会う前、偽預言者たちは、むなしい、偽りの慰めや平安ばかりを語りました。

しかし、崩れた共同体を立ち直らせるには、ひとたび、罪をあばくことが必要だったのでした。


こういう言葉に、色んなことを考えさせられます。

歴史の負の面をまるで学びもせずに、美しい国と自賛し、危機感を妙なかたちでくらまして、人々を励まそうと熱心な指導者たちのことも思います。

教会もまた同様でしょう。これまでの歩みの間違いにちゃんと向き合うことを避けて、慰めばかりを語っている。

あるいは、先日あずかった講演では、「罪の問題に真剣に向き合おうとしない牧師のことを、若者は尊敬しない」とも教わりました。

神の御前で、何が罪深いことなのか。どのように生きることを、主は望んでおられるのか。

そのことを一緒に問い求める中で、衝突や葛藤も起こり、互いに傷を受けるかもしれません。でも、そこから逃げずに、ちゃんと向き合ってくれて、一緒に乗り越えようとしてくれる牧師でなければ、若者は、真に尊敬することはないと、教えられました。


「あなたを立ち直らせるには、ひとたび、罪をあばくべきなのに・・・」

もちろん、罪をあばいて、それでほったらかしではありません。あばくのは、神の赦しのもとへ導くためです。

神の御心に従うことができない自分・・、その自分が赦されている。この赦しの喜びが、人を立ち直らせてくれるのです。


共に祈りましょう。

主よ、私たちが、罪の赦しの喜びを、真に味わうことができますように導いてください。
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