2016.
10.
20
今朝はアモス8:11の御言葉に聴きましょう。
「見よ、その日が来ればと、主なる神は言われる。わたしは大地に飢えを送る。それはパンに飢えることでもなく、水に渇くことでもなく、主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ。
人々は海から海へと渡り、北から東へとよろめき歩いて、主の言葉を探し求めるが、見いだすことはできない。」
神様は、霊の糧である「主の言葉」の飢饉を与えると言われます。
それは、食糧の飢饉よりも、もっとおそるべき、最も悲しむべき裁きです。
食べるもの、飲むものはたくさんあるかもしれない。でも、主の言葉を聞くことができないで、魂が飢え渇き続ける・・・、そのことが何より恐ろしいことなのです。
今まさに、そのような飢え渇きの中に、たくさんの人がいる。真実の言葉を求めて、あえいでいる人がたくさんいる。
そういう人々は、もはや主の言葉を聞くことができないのでしょうか。
・・・・そうではないのです。
今や、キリストの十字架によって、裁きはすべて取り除かれました。
本当に聴きたいと願うならば、主の言葉はいつでも聖書から、あるいは教会の説教から、聴くことができるのです。
だからこそわたしたちは、霊の糧を慕い求めることに、もっとひたむきでありたいのです。
共に祈りましょう。
主よ、主の言葉を受け取ることのゆるされている幸いを感謝します。どうか今日も、折に適った御言葉を与えて下さって、それぞれの信仰生活を深めてくださいますように。
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