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2016. 12. 07  
今朝、リジョイスに指定されていたアモス書5章を読んでいました。

「それゆえ、知恵ある者はこの時代に沈黙する。まことに、これは悪い時代だ。

善を求めよ、悪を求めるな。お前たちが生きることができるために。そうすれば、お前たちが言うように、万軍の神なる主は、お前たちと共にいてくださるだろう。(アモス5:13-14)」

ドキッとした言葉でした。

自分の心は決定的に、神の御心から離れて、すなわち「善」から離れて、悪い時代にのみこまれている。

それなのに、神には、共にいてほしいと願う。どうして共にいてくれないのかと、文句を言う。

あるいは、自分には神がついているから大丈夫と、妙に大胆である。しかし、そのようにして自分に都合よく信仰している「神」とは、どういう存在でしょうか。

それは、まさしく自分自身でつくりあげた、偶像に過ぎないのではないか・・・。


神と共に生きるとはどういうことかと、考えさせられている朝です。

Ⅰペトロ2:24にはこうありました。「(キリストは)十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。」

「罪に対して死ぬ」とは意訳で、「罪から離れる」という言葉です。

そして、「義によって生きる」とは「義に生きる」、それはアモス書の言葉なら「善」に生きるということです。神との正しい関係に生きる。

それは、これから始まる新しい道です。

キリストの十字架によって、これまでの罪を赦された者として、根本的な悔い改めをもって「善を求める」ことをはじめ、神と共に生きる新しい命に進んでいく。

イエス様は、私たちにそういう未来を用意するために、十字架にかかってくださって、過去を清算してくださるのです。


共に祈りましょう。

主よ、わたしを洗ってください。雪よりも白くなるように。わたしの罪に御顔を向けず、咎をことごとくぬぐってください。神よ、わたしの内に清い心を創造し、新しく確かな霊を授けてください。
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