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2016. 12. 13  
昨日、私が学んでいます東京基督教大学で、神学生のための講演会がありました。私たちの教会にも来てくださった朝岡勝先生がお話してくださいました。

<あの日>以後を生きる―震災から5年9か月、というタイトルですが、語られたのは説教論と説教者論です。

あの「未曾有の出来事」とさえ言われた大震災という「苦難」を経験した後で、どんな言葉を語ることができるのか・・・と、悩み、祈り、苦闘し続けてこられた、ご自身の歩みを証しするようにお話くださいました。

その歩みは、より本質的に、「苦難」の中に置かれている聴衆のお一人お一人に、神の慰めを“本当に”届けるということが、どうすればできるのだろうかという悩むことでもあります。

そしてそれは、わたし自身が毎日考え続けていることでもありました。


皆さんと分かち合いたいことはいっぱいあるのですが、あまり難しくなってもいけません。分ち合いやすいことだけ、紹介しますね。

あの震災から二回目の日曜日の3月20日。朝岡先生は牧師になって初めて、原稿なしのメモ書きだけで説教をしました。十分な準備をすることができる時間がなかったからです。

教団の復興支援本部の事務局長として、物資の手配に明け暮れておられました。一週間の睡眠時間は平均3,4時間。ろくに食事もとっていない。一週間で4キロやせ、耳鳴りがするようになる・・・。

そんな状態のまま土曜日になり、その日も日中は震災の対応に追われて、説教準備のために机に座ったのは夜11時近く。

今からでは、いつものような準備をする気力も体力も残っておらず、「主よ、おゆるしください。どうしたらよいでしょうか」と泣き言のような祈りをささげてから、とにかく聖書を開く。

予告されていたテキストは、ヨハネ福音書6:1-15.主イエスが、5000人に食べ物を与えるという、奇跡がしるされた記事でした。

一度、二度と読むうちに、ぽろぽろと涙があふれてきて止まらない。みことばが心の中に一言一言染み込んでくる。

疲れて渇いた心のひび割れに、みことばがしみわたってきて、だんだんと命が潤い、内側から魂が活性化して力があふれて来るのを感じた。

この一週間、物資手配という慣れない働きの中で、たくさんの問い合わせや苦情にも疲れ果て・・・、その自分の一週間が、5000人を前に途方に暮れつつ、人々の腹を満たそうと悩んだ弟子たちと重なった。

そして深く教えられた。ぼくたちが人々の必要を満たすのではない。満たしてくださる方は、主イエス・キリストご自身なのだという確信であった。

・・・・このようにして、だれより説教者自身が、「みことば体験」をしたのです。

説教とは、説教者が作り出すものではなく、やはり本質的に、主から与えられて語るものなのですね。


共に祈りましょう。

主よ、今日もそれぞれの苦しみや悲しみを負って生きておられる、愛するお一人お一人に、どうか上よりの慰めと祝福がありますように。すべてを満たしてくださる、あなたにおゆだねいたします。
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