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2017. 02. 16  
この毎朝の配信は、私の様な能力の低い牧師にとっては、毎朝の産みの苦しみです。

聖書と、ニュースと、お一人お一人(自分も含めて)の現実・生活とを思い巡らしながら、私は何を取り次ぐべきかと、神に祈り求める日々です。

何をお届けすればいいのかが全く見えないまま、悩みながら前日の眠りにつくこともしばしばです。

だからでしょうか。時々、夢の中で、まるでお告げを受けたように、言葉が与えられます。

今朝は、「正しい者としてではなく、ただ、人間の罪を知っている者として!!」という言葉で目が覚めました。


実はこのことは、ここのところいつも考えさせられていることです。

昨日、最後の審判の話をしましたが、私たちは「正しい者」の立場で、そのことを考えることはできないものです。

「正しい者はいない。一人もいない。(ローマ3:10)」とあるように、クリスチャンといえども、完全無欠ではなく「罪」を抱えています。

そういう者が、イエス・キリストの救いによって、ただ神の恵みによって「義=合格」としていただいて、永遠の滅びを免れさせていただくに過ぎません。

だから、「正しい者」として、まるで神になりかわって審判者のようにふるまうことは、決してゆるされません。


まことの神様を知り、神の道に生き始めると、地上の腐敗した世界が放ついやなにおいに気付いて、吐き気さえ催すようになるものです。

人間の傲慢が見えてきます。快楽主義、自己主義が見えてきます。不正義が見えてきます。

しかし、私もまた、その地上の一員です。いやなにおいを放つ者の一人です。

ただ、何かが違うとすれば、神の恵みによって、まことの神様を知ることがゆるされたということだけです。

そして、神の目に映る自分の、罪深い姿を知ったということ。しかも、そういう者が、なお愛されていると知ったということだけです。

そういう真理を知っている者として、私たちは、この地上世界に、イエス様から遣わされているのです。

イエスはこう祈ってくださいました。「真理によって、彼らを聖なる者としてください。あなたの御言葉は真理です。わたしを世にお遣わしになったように、わたしも彼らを世に遣わしました。彼らのために、わたしは自分自身をささげます。彼らも、真理によってささげられた者となるためです。(ヨハネ17:17-19)」


共に祈りましょう。

主よ、あなたの前で、すべての罪人が悔い砕け、あなたを仰ぎ見ることができますように。あなたの愛と義と平和が、この地に満ちますように。わたしたちの心に満ちますように。


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