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2017. 04. 13  
水曜日の祈祷会では、日本キリスト改革派教会の創立40周年に出された「聖書についての宣言」を読んで、わたしたちにとって聖書とはどういうものなのかを確認しています。

昨日は、旧約聖書も新約聖書も、すべてイエス・キリストを指し示す証言なのだと確認しました。

旧約聖書は、やがて来るイエス・キリストについて書いているのです。

イエス様の十字架の苦しみについても、旧約にはっきりと示されています。

そのように言いますと、ただちに思い出されるのがイザヤ書53章に記された「苦難のしもべの歌」かもしれませんが、それだけではありません。

そういう1つ2つの聖句というよりも、旧約聖書全体が示している神様のお姿が、イエス様の姿と重なるのです。

それは、民の反逆を悲しみ、それを厳しく罰しながらも、なおも憐れまずにはいられず、愛さずにはいられない神様のお姿です。

そして、その罪深い民を決して切り捨てずに、ねばりづよく忍耐し、わがこととして悩み苦しみ、彼らの苦しみを背負いながら、いつまでも救いの手を差し伸べられる神様のお姿です。

旧約聖書を丁寧に読んでいけば、そういう神様のお姿が見えてきます。

たとえばこんな聖句が、旧約全体を読み解くカギになることでしょう。イザヤ書63章8,9節です。

「主は言われた。彼らはわたしの民、偽りのない子らである、と。そして主は彼らの救い主となられた。彼らの苦難を常にご自分の苦難とし、御前に仕えるみ使いによって彼らを救い、愛と憐れみをもって彼らを贖い、昔から常に、彼らを負い、彼らを担ってくださった。」

この神様が、ついにわたしたちの罪深い現実に降りてきてくださって、私たちが負うべき苦しみを自らお受けになられた。それがキリストの十字架の意味です。

この神様が、今もわたしたちの罪深い現実を、憐れみ、悩み、ともに苦しみ、救おうとしていてくださいます。


共に祈りましょう。

主よ、時代の苦悩は深まっていきます。主よ、あなたが悲しみ苦しんでおられることを思います。わたしたちひとりひとりが、自らの罪を見つめ、あなたに立ち帰ることができますように。あなたの忍耐を無駄にしてしまうことがありませんように。
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