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2017. 06. 22  
創世記12章に記された、アブラムの旅立ちについて考えています。

おもしろいのは、この旅立ちは、目的地が示されないままのスタートだったということです。

新約聖書のヘブライ人への手紙12:8に、そのことが明確にされています。

「信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。(ヘブライ12:8)」

行き先も知らずに出発するというのはどういうことでしょう。

行き先がないわけじゃないのです。あてのない、さすらいの旅を始めたわけじゃない。

行き先はある。約束の地がある。しかし、それがどこにあるのかは、自分には分からないのです。

それは、とても心もとないものです。何の計算も立たないのです。でも、主なる神がその目的地を知っていてくださいます。

そして、毎日、ふさわしい導きを与えて下さるのです。それを、ただ信じるから、旅を続けることができます。

信仰の生涯というものは、そういうものなのでしょう。

例えば、祈りということを考えました。

私は、祈りはかなえられるという証しをたくさん持っています。でも同時に、まだかなえられていない祈り、かなえられなかった祈りもたくさんあります。

その祈りに対するゴールがどこにあるのか、わたしには分かりません。

あるいは、自分でゴールだと思っていたところと、全然違うところがゴールであったと悟らされたこともしばしばです。

自分で定めた目的に向かってどれだけ努力しても、そこに届かない時もある。

でも、自分の思いを超えて御手が働かれ、考えてもいなかった場所へ導かれることもある。

そういう意味では、祈りとは計算が立つ行為ではありません。

しかし、主なる神が、必ずその祈りを聞いていてくださるということだけは、私たちには分かります。これは揺るぎない確信です。

だから、自分のすべてをひっさげて、彼にお任せして、毎日新しく旅立つ思いで祈るのです。


共に祈りましょう。

主よ、私の人生を導き、世界の歴史を導き、宇宙の運行を導かれる、大いなるあなたに信頼します。人生のゴールがどこにあるのか、永遠の御国がいつ訪れるのか、私たちには分かりませんが、あなたが今日示してくださる旅路を一歩一歩丁寧に歩みたいと願います。どうぞ約束の地へ導いてください。


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