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2019. 11. 06  
メディア「あさのことば」の原稿を兼ねて、しばらくの間、詩編の祈りに心を合わせて、皆さんといっしょにお祈りをささげたいと願っています。

今日は詩編25篇です。

「主よ、あなたの道をわたしに示し、あなたに従う道を教えてください。あなたのまことにわたしを導いてください。教えてください。あなたはわたしを救ってくださる神。絶えることなくあなたに望みを置いています。(詩編25:4-5)」

神様、わたしの神様、これまでの私の歩みを振り返れば、心は曇ります。

欺きと偽りに満ちた人生でした。あなたを悲しませてしまう罪深い歩みでした。

私の心の闇が、たくさんの敵を呼び込んでしまったのだと思います。

そうして私は傷つき、疲れて、網に絡まった魚のようにもがき続けています。

神様、どうか憐れんでください。

イエス・キリストの十字架の贖いのゆえに、私のこれまでの罪と背きを想い起さず、ただ憐れみと慈しみをもって、私を赦してください。助けてください。

私には何もありません。ただあなたのお恵みにすがりつくよりありません。

私は貧しく、孤独です。この苦悩する心を解き放ち、痛みから私を引き出してください。

私の罪を取り除き、新しい、命の道へと私を導いてください。

主よ、今日の日に、私が選ぶべき道を示してください。

あなたと共に歩ませてください。希望の光ある方に向かって、歩みたいのです。

主よ、わたしの魂はあなたを仰ぎ望み、わたしの神よ、あなたに依り頼みます。
2019. 10. 26  
昨日は思いがけない大雨でした。皆さまの御自宅周辺は大丈夫でしたでしょうか。

先の台風で被災された方々に、追い打ちをかけるような状況でもあり、主の憐れみを願います。

このようなことをとおして、主は私たちに何を語りかけようとしておられるのか。人間の現実と向き合い、自らと向き合い、聖書を通して、御言葉にしっかり耳を傾けたいと思います。

なお、来週は改革派教会の大会会議がありますので、配信はお休みいたします。


明日は詩編46篇、11節の御言葉も有名です。

「力を捨てよ、知れ、わたしは神。国々にあがめられ、この地であがめられる。」

「力を捨てよ」は、「静まれ、落ち着け」と訳されることもあります。

出エジプト14:13で、海を渡る直前にモーセが人々に語ったこの言葉、「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい」、この「落ち着いて」と同じ言葉です。

それは、興奮を静めるというようなことではなく、何かを捨てる・放棄するという意味だとされます。

「神認識には放棄が要求される」と、左近淑という旧約学者が解説しています。

あなたの無力を認め、すべてを神様に明け渡しなさいというのです。

そのときはじめて、神がほんとうに神であることを知る、ということも起こります。

神に存分に働いていただくには、いろんなものを捨てて、スペースを空けないといけないのです。


共に祈りましょう。

主よ、あなたが本当に力ある神であることを、私たちがよくよく知ることができますように。思いを超えて、あなたの恵みの御業を今日も行ってください。
2019. 10. 25  
次主日は詩編46篇を分かち合いますが、この詩編を読むと思い出すのが、東日本大震災の時のことです。

当時の大会議長の吉田隆牧師が、大きな痛みを味わっている仙台の地から、全教会に向けて、搾り出すようにして言葉を送ってくださいました。

その中で詩篇46篇を引きながら、このように言っておられました。
  
「地が姿を変え/山々が揺らいで海の中に移るとも/海の水が騒ぎ、沸き返り/その高ぶるさまに山々が震えるとも」(詩編46:3-4)という出来事が、比喩ではなく事実として立ちはだかった時、さらには詩人には思いも及ばなかった放射能の拡散という異常事態に直面している時に、

依然として「神はわたしたちの避けどころ…わたしたちは決して恐れない」(同46:2-3)と告白できるか。

私たちはその信仰の試練に立たされています。」


・・・詩篇46篇は、そういう歌です。

世界そのものが根底からひっくりかえったような、激しい信仰の試練を味わいながら、なおそこで神への信頼に生きる。

いやむしろ、すべての人間的な力が失われてしまったがゆえに、無力を思い知らされたがゆえに、はじめてそこから、神へのまことの信頼に生き始めた。

そういう人が、「わたしたちは、もう恐れない」と信仰告白しているのです。

そしてこのように続きます。

「 大河とその流れは、神の都に喜びを与える/いと高き神のいます聖所に。 神はその中にいまし、都は揺らぐことがない。夜明けとともに、神は助けをお与えになる。」

夜明けとともに神は助けをお与えになる。

この神の約束を信じなさい。神が開いてくださる希望の夜明けを信じなさいと、いつでも私たちは招かれています。


共に祈りましょう。

主よ、今日も暗い気持ちで朝を迎えた人がいるかもしれません。そのような者を憐れんでくださり、魂の夜明けへと導いて下さい。私たちはまことに揺らぐ者です。無力な者です。だからこそ主よ、あなただけが頼りです。主よ、今日も共にいてください。
2019. 10. 24  
次主日は、宗教改革記念日礼拝ということで、詩編46篇を分かち合います。

マルチン・ルターの讃美歌「神はわがやぐら(284番)」の基となっている、有名な信頼の歌です。

2節「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。」

「苦難のとき、必ずそこにいてくださる・・・」私たちは、このように信じています。

詩編145:18-19にはこうあります。

「主を呼ぶ人すべてに近くいまし、まことをもって呼ぶ人すべてに近くいまし、主を畏れる人々の望みをかなえ、叫びを聞いて救ってくださいます。」

詩編34:18-19にはこうあります。

「主は助けを求める人の叫びを聞き、苦難から常に彼らを助け出される。主は打ち砕かれた心に近くいまし、悔いる霊を救ってくださる。

主に従う人には災いが重なるが、主はそのすべてから救い出し、骨の一本も損なわれることがない。」

そして、新約聖書のフィリピ4:4-7にこうあります。

「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。

どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。

そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」


このようにして、「神はすぐ近くにいてくださる。苦難のとき、必ずそこにいてくださる」と、神の民は信じて、勇気と平安をもって生きて来たのです。

共に祈りましょう。

主よ、あなたが共にいて下さる、それが私たちのすべてです。主よ、今日がどんな一日なのか、あなたが知っていてくださいますから、あなたに道案内をおゆだねします。死の陰の谷を行く時も、共にいてくださって、助けてください。
2019. 07. 30  
今日から子どもたちのジュニアキャンプがあります。明日明後日は、配信をお休みいたします。

また、明日からはいよいよエレベーターの改修工事が始まります。無事完成し、体を弱めている方々が会堂に集うことができますように。

また、今週木曜日からは、宮城県山元町の「のぞみセンター」での奉仕に、当教会からも3人の方が遣わされます。

地域の方々とのバーベキューが主な行事です。被災された方々に「あなたたちのことを忘れていない」とのメッセージを届けてほしいと願っています。

それぞれ、お祈りに覚えてください。

さて、先の主日には「お前は主のまっすぐな道をどうしてもゆがめようとするのか」という、パウロの激しい叱責の声に耳を傾けました。

それは、セルギウス・パウルスの求道を邪魔する、魔術師エリマに対するものでありました。

礼拝後に、子どもたちと説教の恵みの分かち合いをしました。

すると、「主のまっすぐな道」ということが心にかかって、ずっとそのことを考えていたと教えてくれる子がいました。

自分は命の道を、まっすぐに歩いて行けるかな?

ラクダが針の孔を通るよりも難しいと言われているから、神の国に入ることはできないかな?入りたいな・・。

そんな素直な祈りを、分かち合うことができました。

私は牧師として申し上げました。大丈夫、人間にはできなくても、神様にはできる。

私たちは、まっすぐには歩けないね。フラフラと右往左往してしまう。それが、人間の弱さだね。

でもそういう罪人であっても、イエスを信じるならば、決して見捨てないで、絶対に手を離さないで、永遠の命に導いてくださると、神様は約束してくださいました。

神様は手を離されないから、絶対に大丈夫。安心していなさい。このことを、一生、どんなことがあっても忘れないでいてください。

神様は決して手を離さずにいてくださる。だから、私たちもその手をしっかり握り返す。

その時に、神と共に生きる喜びが分かってきます。信仰と希望と愛が、魂に満ちてきます。

私たちは、まっすぐに歩けない。でも、神様が、どんなにフラフラしても見捨てないで、ゴールに向かって整えていってくださいます。

だから私たちも、まっすぐに歩かせてくださいと祈ろう。

まっすぐに歩いて行こうと足を踏み出す時、神から与えられたあなたの尊厳が輝きだすのです。


共に祈りましょう。

主よ、あなたの道を教えてください。わたしはあなたのまことの中を歩みます。

御名を畏れ敬うことができるように、一筋の心をわたしにお与えください。(詩編86:11)

プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
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