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2020. 05. 02  
メディアミニストリーのあさのことばの原稿準備にお付き合いください。今、「詩編の祈りに心合わせて」シリーズに取り組んでます。今日は詩編32編です。

(感想などお寄せいただけましたら、修正等に反映いたします。ちなみに、前回の放送はこちらです。https://www.jesus-web.org/radioprg/prg_asa_lm.htm)

「いかに幸いなことでしょう。背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。いかに幸いなことでしょう、主に咎を数えられず、心にあざむきのない人は(詩編32:1-2)」

 神様、わたしには隠していた罪があります。隠そうとしても隠せるはずがないのに、あなたにはすべてお見通しなのに、うわべだけとりつくろって、必死に隠そうとしてきた私でした。

いや、隠そうとしている自覚さえなかったかもしれません。自分自身をもだまして、自分は何も悪くないと言い聞かせるようにして、いつもどこかに言い訳を探しながら、あなたが悲しまれることを重ねてきたような私です。

そのたびに、心はざわめき、いらだって、体まで重く干からびて、健やかさを失ってしまいました。

はるかな昔、アダムがあなたの御前から逃げて隠れようとしたように、私も逃げていたのです。だから、あなたの大きな手が重くて仕方なかった。

あなたはいつも恵みをもって、私をとらえようとしていてくださったのに、その手が私には重かったのです。

でも、今私は、自分の過ちをあなたに正直にお話しします。

どうか、これまでの私を覆い隠してくださって、新しい歩みをなさせてください。
2020. 04. 12  
(日々の祈り、イースター特別編です。今週火曜日からいよいよ再開します!!)

この御言葉を聞くことへと導かれた・・聖書通読をしているとよくある話ですが、この数日、詩編88-91へと至る流れに、主の恵みの摂理を想えずにはいられません。

新改訳2017を通しての新たな気付き。詩編88篇、あの絶望の詩編、「私は暗闇を親しい友としています」との最後。それは、私たちが味わうべき暗闇だったのだと、改めて深く心にとどめた金曜日。

そしてダビデの子孫が味わった恥辱を嘆き、恵みはどこにあるのかと訴える89編のあと、待ちきれずに、90篇から始まる詩編第5巻へと進んだ土曜日。「帰ってきてください。主よ、いつまでなのですか」との叫びに、心沿わせました。

そして今朝、91篇が復活の詩編であったことに気付かされた日曜日の朝。

「彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出す。
彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げる。
彼がわたしを呼び求めれば、わたしは彼に答える。
わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い、彼に誉れを与える。
わたしは、彼をとこしえのいのちで満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せる。」

わたしたちは彼のものであり、彼はわたしたちの命。すべて。彼の復活は、わたしたちの復活のはじめ。彼が通られた救いの道を、命への道を、わたしたちは通らせていただく。主の憐れみは決して尽きない。わたしたちは、彼によって救いを見る。

イースターの喜びが、この世界に豊かにあふれますように。
2020. 03. 19  
昨日に続いて、神様からいただいている御言葉のプレゼントの数々を、お裾分けいたします。

この数週間、ハードワークを心配してくださって、たくさんの方が祈りで支えてくださっていることを感謝しています。

ひとりの先輩牧師が、毎日、詩編の言葉をメールで送ってくださいます。

これは恐らく、その先生がご自分で訳されたものと思いますが、こういう御言葉を贈ってくださいました。

「詩編9:正義と公平の主は、虐げられた人の砦、苦難の時の砦。御名を知る者は、あなたに寄り頼む。あなたは、尋ね求める者をお見捨てにならない。」

昨日は、10篇でした。

「詩編10:主よ、立ち上がってください。神よ、御手を伸ばしてください。苦しみ悩んでいる人々を顧みてください。幸せを失った我らはあなたに身を委ねます。」


また、愛する勝田台教会のひとりの長老が、詩編130篇の御言葉を分かち合ってくださいました。

私の昨日の配信への応答として、自分の中で、詩編130篇の御言葉が立ち上がってきて、何度も読み返しましたとお伝えくださいました。

神が与えてくださる聖徒の交わりは、なんと幸いなことでしょう。

こういう祈りと御言葉のプレゼントによって、小さな魂は、何度でも息を吹き返すのです。復活の主の勝利を信じて。


今日は、詩編130篇の御言葉すべてを書き留めますので、これをもって、共に祈りましょう。

「深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。主よ、この声を聞き取ってください。嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください。

主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら、主よ、誰が耐ええましょう。

しかし、赦しはあなたのもとにあり、人はあなたを畏れ敬うのです。

わたしは主に望みを置き、わたしの魂は望みをおき、御言葉を待ち望みます。

わたしの魂は主を待ち望みます。見張りが朝を待つにもまして。見張りが朝を待つにもまして。

神の民よ、主を待ち望め。慈しみは主のもとに、豊かな贖いも主のもとに。主は、私たちを、すべての罪からあがなってくださる。」
2019. 12. 31  
2019年も最後の一日となりました。この配信も、なんとか最後まで継続することができました。

楽しみに待っていてくださる方々の存在が励みになりました。いっしょに祈ってくださって、本当にありがとうございました。

今週はお休みをいただいて、来週1月7日(火)から再開したいと思っています。

先の主日は、今年最後の礼拝ということで、「御心がなりますように」という祈りを思い巡らしました。

神は偉大なお方です。神の御心は、あまりに深く広く、私たちにはとらえられない。

でも、信じる者たちの救いのために必ず万事を益としてくださいます。私たちは、いつでもそのように信じているのです、

その最後に引用したのは、詩編37篇の御言葉でした。

「主は人の一歩一歩を定め、御旨にかなう道を備えてくださる。人は倒れても、打ち捨てられるのではない。主がその手をとらえていてくださる(詩編37:23-24)」。

今年、自分は「倒れた」と自覚しておられる方もいらっしゃると思います。

文字通りに転倒なさって、ケガを負われた方々のことを心配することもありました。

元気を奪われてしまった方のことを、静かに祈りに覚えることもありました。

思うように事が進まず、暗い気持ちになったこともありました。

でも、主がその手をとらえていてくださる。だから、どんなことがあっても大丈夫。

この素朴な信仰に生かされてきた2019年でした。

私たちのために、その独り子さえ惜しまず死に渡された方が、その他のすべてのことを備えてくださらないわけがない。


共に祈りましょう。

主よ、この一年の間、不信仰な私たちに、信仰と希望と愛を与えてくださって、豊かな歩みをなさせてくださったことを本当に感謝します。新しい年にも、あなたの恵みの導きを信じています。すべてのことを通して、ただあなたの御栄光が表されますように。
2019. 11. 14  
詩編の祈りに心を合わせて、皆さんといっしょにお祈りをささげています。今日は詩編31篇です。

「まことの神、主よ、御手にわたしの霊をゆだねます。わたしを贖ってください。わたしは空しい偶像に頼る者を憎み、主に信頼します。(詩編31:6-7)」

主よ、憐れんでください。苦しむ者を憐れんでください。

魂が疲れ果て、体を動かすことの出来ない者もいます。

目は弱り、骨が衰え、年老いた自分を嘆く者もいます。

人間関係の難しさに苦悩している者もいます。悪意の込められたささやき声に、心が壊れそうになります。

しかし神様、私はあなたに信頼します。

神様、わたしの神様、慈しみ深く私をお救い下さい。

あなたが私の苦しみを見ていてくださるから、わたしの魂の悩みを知っていてくださるから、あなたにすべてをおゆだねします。

生まれる前から私を導いてくださった神様、あなたの手の中に、私のすべての時間はあります。

私に起こることはすべてあなたにかかっているのです。

あなたの慈しみ深い御旨に、すべてをおゆだねします。

何があろうとも、私はそれをそのまま受け入れることを望みます。

主よ、この心が強く雄々しくあれますように、あなたの慈しみによって支えてください。
プロフィール

茅ヶ崎の牧師

Author:茅ヶ崎の牧師
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