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2014. 01. 23  
いつも喜んでいなさい・・・・。これほどに厳しい教えもないのではないかと思います。

どんな時も喜ぶ・・・・。それは、断食の苦行よりもはるかに厳しい、霊的修練です。

地上の考えで「喜び」ということを考えるなら、いつも喜ぶなんて不可能です。

私たちに与えられる喜びは、天から来る喜び。神を知る喜び。

神が開いてくださる、人知を超えた喜びの世界です。

病の痛みの中で、十字架の主の痛みとひとつにされていく・・・、こんなことさえ「喜び」となっていくのが信仰の奥義です。

ヤコブは言いました。「わたしの兄弟たち、いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい。信仰が試されることで忍耐が生じると、あなたがたは知っています。あくまでも忍耐しなさい。そうすれば、完全で申し分なく、何一つ欠けたところのない人になります。(ヤコブ1:2-4)」

なんて心ない言葉だ!!と、私はかつて、この御言葉を拒みました。

しかし、自分がとても苦しかった時に、この御言葉が与えられ、私は涙が止まりませんでした。

「この上ない喜びと思いなさい」だなんて、できるわけないと、思っていました。

でも、私が「そう思おう」とがんばるより先に、神は私の心に触れてくださり、あの苦しみを「喜び」に変えてくださったのです。


共に祈りましょう。

主よ、今日もどんな時も、私たちに喜びを与えてください。苦しみの中で、あなたが出会ってください。試練を通って、また一歩あなたに近づくことができるようにしてください。
2013. 09. 25  
女子アナの丸岡いずみさんが書かれた「会社を休んで、うつ地獄に行ってきました」という本が話題です。

丸岡さんは、被災地の凄惨な状況をレポートする中で、心を病みました。

しかし、自分がうつになるわけがない、なってはいけないとの思いで服薬を避け、問題を独りで抱え込むことで、悪化を極めました。



自分の弱さや病を独りで抱え込んで、独りで祈って解決しようとしなくてもいいのですよ。

ヤコブ5:14-16にはこう書かれています。

「あなたがたの中で病気の人は、教会の長老を招いて、主の名によって・・祈ってもらいなさい。信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。・・・だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。・・」

ここでは、「自分で祈れ!」ではなくて、「長老に祈ってもらいなさい」「互いに祈りあいなさい」と、ヒューマンコンタクトがすすめられています。

罪という根源的な病から生じる、様々な病や痛み、苦悩、悲しみを互いに担い合い、祈りあう。

教会とはそういう場です。

独りで抱え込まないで、たまには牧師や長老にも話を聞かせてください。

あなたの信頼する信仰の友に、甘えて時間をいただいたらいいのです。

今日は祈祷会もあります。来ることのできない方々のためにも、いつも祈りがささげられています。


共に祈りましょう。

主よ、孤独に陥りがちな私たちの心を開いてください。今、独りで抱え込んでいる方がいましたら、よき分かち合いの時が与えられますように。
2013. 07. 20  
昨日、K姉をお見舞いしました。

大きな手術を控えておられますが、主が平安を与えてくださっていて安心しました。


姉妹との豊かな語らいを手がかりに、こんな御言葉にたどりつきました。

「あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことは分からないのです。あなたがたは、わずかの間現れて、やがて消えていく霧にすぎません。むしろ、あなたがたは、「主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう」と言うべきです。(ヤコブ4:14,15)」

これは、おのれの力に誇り高ぶっている人たちへの警告です。

わたしの人生など、取るに足らぬ、一瞬のものであって、神の御心でなければ、ただちに消えいく・・・それを認めることは切ないものです。

でもそのようにして、大いなる神と、小さな自分にまっすぐ向き合う時、「生かされている」ことの喜びが染みとおってきます。

たくさんの危険がある中で、私たちが今日まで生かされてきたこと、それ自体が奇跡であり大きな恵みでした。

今日、何が起こるか分かりません。

これから先の人生が用意されるならば、それもまた神様の恵みです。

私たちは、神様の恵みの中で生きて、死んでいきます。

そして神様の恵みは、独り子を与えてくださったほどに、大きく、限りないものです。

だから、全部神様におゆだねしましょう。


共に祈りましょう。

恵みの主よ、すべてをあなたにおゆだねします。病んでいる者に平安をお与えください。仕事で疲れている者に勇気を与えてください。あなたの限りない恵みが、今日も雨のように注がれていることを、私たち一人一人に確信させてください。




2013. 06. 06  
ブルネイのクリスチャンからこんな話を教えてもらったと、あるページで紹介されていました。

おじいさんと孫の会話です。

「おじいちゃん、どうして毎日聖書を読んでいるの。おじいちゃんは物忘れも激しいし、何の役にも立たないじゃないか?」。そう尋ねる孫におじいちゃんは、かたわらにあった木桶で近くの川から水を汲んでくるように言います。

でも、その木桶には穴が開いていて、孫がおじいちゃんのところに戻って来るまでに、せっかく汲んだ水がすべてこぼれてしまいました。それでも、おじいちゃんは孫にもう一度水を汲みにいくように言いましたが、結果は同じです。

「おじいちゃん、無駄だよ。だって穴があいているんだもん」。でもおじいちゃんは言いました。「その木桶の中を見てごらん。一見無駄なように見えるけれど、何度も何度も水入れを繰り返すうちに木桶の中は綺麗になっていくんだよ。

聖書を読むことも同じさ。おじいちゃんはもう年寄りで読む先から今読んだことを忘れてしまうけれど、神様のお言葉を読むことによって少しずつ心が洗われているんだよ」。



この毎朝の御言葉メールも、そんな風にして主に用いられていると信じて、皆さんにお送りしています。

わたしたちも、驚くほど早く御言葉を忘れてしまう情けない者ですが、そんなわたしたちのために毎日御言葉を与えてくださる主に感謝したいと思います。

「だから、あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去り、心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。(ヤコブ1:21)」



共に祈りましょう。

愛する主よ、今日もあなたの御言葉をくださって、この心と魂を清めてください。わたしたちそれぞれの、聖書と向き合う時間を導いてくださり、霊的な祝福で満たしてください。
2013. 05. 07  
今日からまたリジョイスの執筆を兼ねて、レビ記の御言葉をお贈りしようと思いましたが、解説するのが難しくて間に合いませんでした。

また明日から仕切りなおします。

今日は連休明けの一日、すこし憂鬱な思いで朝を迎えられた方もいらっしゃるかもしれません。

皆さんの心と体が今日も守られますように。

日曜日には、「わたしたちに必要な糧を今日与えてください」との御言葉に聴きました。

「今日の糧」を「今日私たちにちょうどよく」与えてくださる主に信頼しましょう。

そして、主なる神は、今日私たちに与えられる、すべてのよきものの源であることを覚えましょう。

「良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、光の源である御父から来るのです。(ヤコブ1:17)」

今日も、この光の源を見上げましょう。

そこから必ず、良い贈り物が与えられることを信じています。


共に祈りましょう。

すべてのよきものの源なる主よ、今日も私たちに必要なすべてのものを、ふさわしく備えてください。今日の一日を、あなたに心を向け、あなたに感謝をして、あなたの祝福を楽しみながら過ごすことができますように。
プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
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