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2019. 10. 04  
次主日は使徒言行録27章にある、パウロに与えられた船旅の試練についての記事を分かち合います。

カイサリアの総督府で2年にわたって軟禁されていたパウロでしたが、皇帝への上訴によって、ローマへと護送されることになります。

とうとうローマへの旅路が開けたのです。

牢獄で暗い夜を過ごすパウロのかたわらに、主イエスが来てくださって、「勇気を出せ」と言って下さったのは23:11のところでした。

「その夜、主はパウロのそばに立って言われた。『勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。』」

この約束の言葉をずっと信じ続けて、忍耐の時を過ごし、ようやくパウロは、ローマに向かう船に乗ることができたのです。

しかしまたも困難が待っています。この船旅は、文字通りの逆風続きで、なかなか前に進むことができない。

挙句の果てには、エウラキオンと呼ばれる暴風にあおられて、船は転覆寸前まで追い詰められてしまう。

でも、そんな中でもパウロだけはいつも落ち着いています。

主の約束の言葉を信じているからです。

そして、主が「勇気を出せ」と言って下さったように、「皆さん、元気を出しなさい(※原語は同じ)」と励ますのです。


共に祈りましょう。

主よ、今日も朝が来ました。朝が来なければよかったのにと、感じている人もいるかもしれません。どうか主よ、この弱い私たちに、信仰と希望と愛を与えてください。今日の日を、なんとか生きていくために。願わくは、パウロのように歩めるように。

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2019. 09. 20  
次主日は使徒言行録26:19-32を分かち合いますが、その直前の12-18節に、パウロの回心の証しがあります。

彼は天からの光を見たといいます。それは真昼の太陽よりも明るく輝く、根源的な光であったと証言しています(13節)。

それが、復活の主イエスの栄光でした。パウロたちは、この光に圧倒されて地面に打ち倒れました。

そのとき声が聞こえた「サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか。」

そして面白い言葉が続いていますね「とげの付いた棒をけると、ひどい目にあう。」(14節)

これはこの当時の格言でして、自分よりも大きな力に逆らうのは無益だという意味です。要するに、私にこれ以上歯向かうな!!

こういうイエス・キリストの圧倒的な権威と栄光によって、打ちのめされ、イエス様に降参した。私はイエスに支配された。それがパウロの証しなんですね。


これは非常に興味深いことです。

教会では様々な機会に、「証し(入信記)」を聞かせていただくことがありますが、なかなかこのように、「自分はイエスに負けた」という証しをなさる方はいない。

でも、私たちが信仰を持つときというのは、誰でもこのような敗北を経験するものです。

私たちというのは傲慢ですから、神様、イエス様を、「自分」の枠の中に取り込もうとしてしまうものです。

聖書の教えを読んでも、自分の考えに合うことだけを受け入れて、他は耳に入らない。

「難しいことは知らない。私にとっての神様はこういう方なの。それで十分だ」と、自分本位な、自分なりの信仰の教祖となってしまう。

でも本当の神体験というのは、そういう意固地で自分勝手な私たちの枠組みそのものを、外側からぶちこわしてしまうものです。

今まで正しいと信じ込んでいたことが、間違っていたと知る、今までとまったく違うものの見方が示される。

それが本当の神体験、イエスとの出会いです。


共に祈りましょう。

主よ、どこまでも自分本位な私を砕いてください。そして、今まで味わったことのないような信仰の喜びの世界を開いてください。
2019. 09. 19  
次の主日は、使徒言行録26章を分かち合いますが、これは先主日の24章の記事から2年後のことです。

総督フェリクスのもとで2年間も放置されるようにして、パウロは監禁されていました。

新しく交代した総督フェストゥスのもとで、また事態が動き出します(25章)。

再びユダヤの祭司長たちが罪状を訴えますが、やはり立証することはできません。しかし、ユダヤ人の機嫌をとりたい新総督は、パウロをエルサレムに引き渡そうとします。

そこでパウロは、皇帝に上訴するという行動に出ました。

それゆえに、護送されてローマに向かうことになります。こういう形で、ローマへの道が開かれたのです。神の摂理の不思議です。


さて26章は、アグリッパ王の前でのパウロの弁明を記します。

この人は「ヘロデ・アグリッパ2世」です。ガリラヤ・ペレア地方の王という称号をローマからゆるされていました。

ヘロデ王家の最後の王でもあるのですが、ヘロデ王家といえば、キリスト教とは切っても切れない因縁のあいだがらです。

①クリスマスの物語に登場します、あの残虐な「ヘロデ大王」は、この人のひいおじいさんになります。

②その次に出てくるヘロデは、イエス様の裁判の時に出てきて、主をなぶりものにしたあのヘロデです。あのヘロデは、「ヘロデ・アンティパス」。

今話をしているアグリッパ2世にとって、大叔父にあたります。

③そして、もう一人いました、使徒言行録12章にもヘロデ王が出てきます。

この人は、使徒ヤコブの首を切ったり、ペトロを逮捕したり、最終的には演説の最中に天使に打たれて絶命して、うじに食い荒らされて息絶えたとありました。

あのヘロデ王は、「ヘロデ・アグリッパ1世」、アグリッパ2世のお父さんです。


そんな具合に、いずれも残虐非道なキリストの敵として、世の闇を象徴するような存在として登場した三人のヘロデ王。

彼らに続く四代目の前にパウロは立ち、堂々と福音を宣べ伝えます。

悪しき力はどれほどに強大でも、やがては自滅します。不滅の福音の光のみが、最後まで輝くのです。


共に祈りましょう。

主よ、私たちのまことの王よ、今日もあなたの守りの中に置いてください。体を弱めている者、台風の被害の大きい者、思いがけない出来事に不安や動揺の大きい者に、イエス・キリストにある信仰と希望と愛を満たし、平安を与えてください。



2019. 09. 18  
先の主日は、使徒言行録24章を分かち合いました。

総督フェリクスの前での裁判において、パウロが無実を弁明しているところでした。

特に注目したのは24節以下のところ。

話を聞きに来たフェリクス夫妻に対して、パウロが「正義と節制と来たるべき裁き」について話したというところ。

その結果どうなったかというと、悪名高いこの夫妻は後ろめたさを覚えて、「恐ろしく」なったとあります。


ここで面白いのは、地上の現実における裁判と、「来たるべき裁き」すなわち、最後の審判の対比です。

パウロは今、現実の法廷において生々しく争っている。

しかし、彼の意識はそこにではなく、最後の審判のほうにあります。

フェリクスは暗に賄賂を求めていましたから、パウロとしては彼に取り入って、裁判を有利に進めることもできました。

でも、いつも最後の審判を意識しているパウロには、そんな選択肢はありえなかった。

完全無欠にはなれないけど、すべてを見ておられる神の御前で、良心の責められるところのないように、最善を尽くして生きていきたい。


神は、パウロの無実を知っていてくださいます。

そしてキリストという弁護者が、最後の審判における彼の「無罪」を勝ち取ってくださいました。

だから、その神の御前で、この地上において最善を尽くす。その結果、たとえ地上の裁判で敗訴してもかまわない。

そういう生き方があるのです。


共に祈りましょう。

主よ、私の道筋をまっすぐにしてください。悪しき力に囲まれても、動揺せず、ただキリストに信頼し、自分の歩んできた道を曲げてしまうことのないように。
2019. 09. 17  
先主日に分かち合った使徒言行録24:16の、パウロの言葉を振り返っています。

「こういうわけで私は、神に対しても人に対しても、責められることのない良心を絶えず保つように努めています。」

「責められることのない良心を絶えず保つ」、言い換えれば、後ろめたさのない歩みをする。

これがパウロの人生の指針であったことでしょう。

とはいえ、それが不可能だということも、一番知っていたのはパウロだったはずです。

良心、これはやっかいなものです。

自分には責められることはない、自分の主張は絶対に正しいと確信するなら、その瞬間から何かがわたしたちのうちで壊れ始めます。

自分が正しいと思いこんでいる人ほど、恐ろしいものはありません。


でも、多くの場合、そういう状態になっている人は、自覚がありません。

今もこれを読んでいたとしても、「そう、あの人のこと!!」とは思っても、自分のことだとは思わないことでしょう。

かくいう私自身が、他者から見れば、自分の主張を押し通そうとする恐るべき者に映っているかもしれません。

みんなが、みんなが、主の御前で、そのことに気付けたら・・・。


共に祈りましょう。

主よ、願わくは、私たちが気づかずに犯している罪から離れさせてください。盲目な私の願いではなく、あなたの御心がなりますように。そして、私たちに愛をください。
プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
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