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2013. 10. 23  
昨日まで、あんなに主を近くに覚えられたのに、急に不安が強くなってしまった・・。

昨日まで、主の愛の道に励んだのに、急に憎しみがわいてきた・・。なんだか空しくなってしまった・・。

そして、そんな信仰の弱い自分に、嫌気がさしてしまった・・。

ある方が、そんな悩みを伝えてくださいました。

でも・・・だめな自分が嫌になるのは、あなたの中で、新しいあなたが確かに始まっているからです。

愛せないと悩むのは、あなたが愛し始めているからです。


ハイデルベルク114問には、神へと立ち返った人ならば、戒めを完全に守ることができるものですか?と問われます。

答えは、いいえです。

「それどころか、最も聖なる人々でさえ、この世にある間は、この服従をわずかばかり始めたにすぎません」と言われます。

でも、「わずかばかりに始まった」ことがすごいことなのです。

そしてこう続きます。「とはいえ、その人たちは、真剣な決意をもって、神の戒めのすべてに従って、現に生き始めているのです。」

あなたは「生き始めている」・・。主はあなたのことを、そのように見ていてくださいます。

フィリピ書3:12は、この114問の証拠聖句の一つです。

「わたしは、すでにそれを得たというわけではなく、すでに完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。」


共に祈りましょう。

主よ、今日も私たちは、もがきながら、悩みながら、あなたによって始めていただいた、新しい私のストーリーを歩みます。主よ、今日も共にいて助けてください。

※ 所用のため、明日の配信はお休みさせていただきます。
2013. 07. 09  
今週は、永遠の命を見つめて生きることの喜び、慰めに深まっていきたいと思います。

フィリピ書3:18-20にこんな言葉があります。

「何度も言って来たし、今また涙ながらに言いますが、キリストの十字架に敵対して歩んでいる者が多いのです。彼らの行き着くところは滅びです。彼らは腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、この世のことしか考えていません。しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。」

昨日テレビを見ていたら、ここで言われている愚かな「彼ら」のような人たちのことを知りました。

テキサスセブンといって、刑務所から脱獄した7人の凶悪犯です。

彼らは周到な計画をもって脱獄を図りますが、あろうことか、その決行前夜にみなで心を合わせて神に祈ります。

神よ、私たちがこの試練を超えて、希望の世界へ出ることができますように、と。

彼らはいったい、何に祈りをささげたのでしょう・・・?

それは、決してまことの神ではなく、彼らの「腹=欲望」という偽者の神です。

「この世のことしか考えない」彼らは、この世においても結局死刑となりました。

その後、本当の悔い改めが与えられればいいのですが・・・。

今日も、永遠の世界である「天」を望み見て、まことの神の御心を求めて歩んでいきたいですね。


共に祈りましょう。

天にましますわれらの神よ。この朝、私たちの心を高く引き上げてくださり、あなたのおられる天を見つめさせてください。そして、天に国籍をもつ天国人として、この地上の人と、違いを生み出す歩みをなさせてください。

2013. 03. 16  
今週は祈りについて思い巡らしてきましたが、最後はこの言葉に聴きましょう。

「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。

そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。(フィリピ4:6-7)」

配信メンバーには、最近聖書に触れ始めた若い方もいらっしゃいますが、これはとても大事な言葉です。ぜひ覚えてください。

すべてをゆだね、心のすべてを明け渡して、神の足元でひざまずく。これが祈りの基本ですね。


余談ですが、先日のゴスペルキャンプで讃美歌を作った時、最後にもう一言足したいなと思いながら、決定的なフレーズが浮かばずに悩んでいました。

そんな思いで、深夜に映画「パッション」をみんなで鑑賞しました。

私たちの身代わりとして、十字架にかかってくださったイエス様の苦しみが、あまりにも痛々しく表現されている映画です。

それを見ながら、ごちゃごちゃした私の思い悩みなどは、この十字架の愛によって全部包み込まれているのだと・・・、思い知らされました。

そして、「・・・主よ、あなたに、ゆだねます」との最後の歌詞が浮かんできました。

心のすべてを明け渡して、人知を超える神の平和の中へと進んでいきましょう。


共に祈りましょう。

主よ、今週も色んなことがありました。色んなことで悩んでしまいました、不安にもなりました。すべてを知っておられるあなたの前で、隠しても無駄ですね。主よ、今日の一日を、あなたにゆだねます。私たちを守ってください。
2013. 03. 02  
今週は、様々な方と語り合い、色んな声を聞くことができました。

自分はまだまだクリスチャンとは名乗れない、愛が足りない、物欲が強い・・・という声も聞きました。

そんな思いは、ほとんどの人が抱いておられるものではないでしょうか。

でも、考えてみれば、愛が足りないなどと思えるのは、まことの愛を知った証拠です。

物欲が強いと思い始めたのは、「すべてを捨てても従っていきたい」と思える方に出会ってしまって、戸惑っている証拠です。


主イエスの霊である聖霊は、すでにあなたがたの内に生きておられて、確実に聖化の業をはじめておられます。

「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。(フィリピ1:6)」

今週も、「善い業=聖化」を確実にすすめてくださった、主に感謝します!!


共に祈りましょう。

主よ、私たちはイエス・キリストに出会えたことを、本当に感謝します。イエス様を知らなければ、私の人生はまったく空しいものでした。イエス様のように自由に、のびやかに、あなたを愛し、隣人を愛したいです。こんな思いを与えていただいたことを感謝します。主よ、今日も私の内で、善い業をすすめてください。
2012. 12. 20  
「何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう。(フィリピ2:14-16a)」

不平や理屈を言わずにとは、自分の持論に合わさせようと神を引きずり降ろすのではなく、自分が神の言葉に合わせていくということです。

そうすれば、このよこしまな曲がった世界で、星のように輝く者として確実に整えられていきます。

星の光、それはまことにささやかです。広い宇宙の闇をわずかに照らす星のように、一つ一つは吹けば飛ぶような光に過ぎない。

でもその一つ一つがそろって輝くならば、満天の星空となって、確かに世界を明るく照らすのです。

星の光が朝をもたらすわけではありません。朝をもたらすのは太陽です。

ですから、私たちがこの世界を救おう、朝をもたらそうとがんばる必要はありません。

朝をもたらしてくださるのは、義の太陽であるキリストです。

私たちは、その太陽が昇るときを信じるだけです。

そしてその太陽の光に照らされて、ささやかな輝きをこの暗い時代の中で放つだけです。


共に祈りましょう。

主よ、今日も世界は歪んでおり、大きな闇が広がっています。まず私のうちに、光を満たしてください。希望の光、愛の光をください。今日、私のあらゆる行動、あらゆる判断を清く導いてくださって、神の輝きを放たせてください。
プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
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