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2014. 04. 04  
昨日まで神戸で訓練会を行い、聖書の発見学習と祈りに集中してきました。

今回は、「暴力」ということがテーマでした。

神にかたどられた人間の尊厳をおとしめる、様々な暴力がこの世界に存在します。

言葉による暴力や、無視、差別、圧迫、etc・・・。私たちは、その被害者にも加害者にもなる可能性がいつもあります。



箴言にこういう言葉があります。

「弱者を虐げる者は造り主をあざける。造り主を尊ぶ人は、乏しい人を憐れむ。(箴言14:31)」

弱肉強食の社会的ダーヴィニズムが蔓延するこの世界では、ある種の人々を、淘汰されていくべき人間、生きる価値のない人間と見なして排斥しようとする、悲しい現実があります。

しかしそれは、創造主の作品を愚弄する暴挙です。

創造主を重んじる者ならば、たとえ憎い敵でさえも、「暴力」によってその尊厳をおとしめてはなりません。

また創造主を重んじる者ならば、その最愛の作品である、自分自身に対しても「暴力」をふるってはなりません。

自分など生きていないほうがよい・・・そんなことを、誰が勝手に決めていいものか。

それは、私たちを愛しておられる方を、あざける暴挙なのです。


共に祈りましょう。

私たちを生み出し、愛し、今日も生かしてくださる創造主よ。あなたが大切にしておられる私自身を大切にし、隣人を大切にすることができますように。今日、あらゆる暴力から私を遠ざけてください。

※今日は神戸改革派神学校の入学式です。昨年、勝田台教会で証しをしてくださった三川共基兄も入学されます。お祈りください。
2013. 11. 28  
日曜日のマタイの講解説教では、しばらく「病の癒し」に関する記事が続きます。

そこで、「いやす」という言葉を旧約聖書に探してみると、箴言に案外多いことに気付きます。


「軽率なひと言が剣のように刺すこともある。知恵ある人の舌は癒す。(12:18)」

「穏やかな心は肉体を生かし(原語:いやし)、激情は骨を腐らせる。(14:30)」

「癒しをもたらす舌は命の木。よこしまな舌は気力を砕く。(15:4)」

「親切な言葉は蜜のしたたり。魂に甘く、骨を癒す。(16:24)」

こうして見ると、舌=言葉にまつわる格言が多いですね。

親切で配慮に満ちた言葉が、人の心から怒りを取り除き、平安と慰めをもたらし、存在全体を癒していく・・。


「わが子よ、わたしの言葉に耳を傾けよ。わたしの言うことに耳を向けよ。見失うことなく、心に納めて守れ。それらに到達する者にとって、それは命となり、全身を健康にする。(4:20-22)」

これを、父なる神から、子である私たちへの語りかけとして受け取り、今日も聖書を開きましょう。

隣人の言葉に期待すると失望すること多いですが、神の言葉は、知恵と配慮に満ちて道を示し、全身を健康にしてくれます。


共に祈りましょう。

主よ、今日もあなたの甘美な御言葉によって、この存在全体を癒し、健やかな一日を過ごさせてください。病で苦しんでいる者たちにも、御言葉の癒しがありますように。
2013. 09. 04  
再開したばかりですが、明日明後日はまた神戸で訓練会があり、お休みさせていただきます。

****
今朝は箴言4:23-27の教えに耳を傾けましょう。

何を守るよりも、自分の心を守れ。
そこに命の源がある。
曲がった言葉をあなたの口から退け
ひねくれた言葉を唇から遠ざけよ。
目をまっすぐ前に注げ。
あなたに対しているものに
まなざしを正しく向けよ。
どう足を進めるかをよく計るなら
あなたの道は常に確かなものとなろう。
右にも左にも偏ってはならない。
悪から足を避けよ。

わたしたちには時に、自分の心を見失ってしまいそうな、危機がおとずれます。

なにもかもうまくいかず、恨み言やぼやきしか口から出てこない・・。

自分など死んでしまったほうがいいと、言ってはならないことを考えてしまう・・。

そしてやぶれかぶれになって、神の道から離れていく。もうどうなってもいいと、すべてを投げ出してしまう・・。

でも、箴言の教えは、そういう私たちを厳しく戒めます。

何を守るよりも、自分の心を守れ。

どのようにして守るか?それは、主としっかり向き合うことによってです。

目をまっすぐ前に向けよ。そこにどなたがおられるか?

あなたを愛して愛しぬいておられる、十字架の主イエスがおられます。

この方が、お前はそんなひねくれた道を歩んでいていいような安い人間ではないのだと、教えてくださいます。

お前は、高価で尊いのだからと。


共に祈りましょう。

主よ、今日もわたしたちの心を守ってください。十字架で死ぬほどに愛していただいた、この身の大切さを見失わないでいさせてください。そして、誇り高いキリストの道を、正しく歩ませてください。
2013. 07. 30  
今週は「天に富を積みなさい」との御言葉に深まっていきましょう。

聖書には、地上の富の空しさを伝える言葉がいくつもあります。

「富を得ようとして労するな。分別をもってやめておくがよい。目をそらすや否や、富は消え去る。鷲のように翼を生やして、天に飛び去る。(箴言23:4-5)」

地上の生活などどうでもいいと言うのではありません。

富がなければ、現実は生きてもいけません。

童話アリとキリギリスの、キリギリスのように生きることが勧められているのではないのです。

ただ、地上の貯金箱に心が縛り付けられていてはいけない、ということです。

同じ箴言の15:15には、こんな言葉もあります。

「貧しい人の一生は災いが多いが、心が朗らかなら、常に宴会にひとしい。」

翻訳によって全然違うのですが、私はこの新共同訳の訳し方が大好きなのです。

私たちは、罪の赦しと永遠の命をいただいたのですから、心を朗らかにしていたいですね。


共に祈りましょう。

主よ、今日の一日にも私たちの心を高く上げ、上からの光に目覚めさせて、明るく朗らかにしてください。今、現実生活に困難を覚えている方々をかえりみてくださって、前を向く力を与えてください。
2013. 06. 19  
「鉄は鉄をもって研磨する。人はその友によって研磨される。(箴言27:17)」

どんな友を得るかで、人生は決定的に左右されます。

スポーツの世界でも、「あのライバルがいなかったら、ここまでの成績は残せなかった」という、大選手の声をよく聞きますね。

神から与えられた命に、全力で取り組み喜び楽しむ「友」の存在によって、わたしたちは磨かれて人格を高められます。

その逆もしかりです。

互いに足を引っ張り合い、なれあうことで、自分を低レベルにとどまらせる友情関係があります。

聖書はわたしたちに、よい友を判断するためのモノサシを与えてくれます。

そして私たち自身が、誰かにとってのよい友となるための、道を示してくれます。

聖書から、イエス・キリストの生涯を学び、真実の友とはどういうものであるかを学んでいきましょう。


共に祈りましょう。

主よ、今日もわたしたちが、互いに高めあう信仰の友であることができますように。どうか若者たちが、人生をよきものとするために、よい友と出会うことができますように。なにより、イエス・キリストと出会うことができますように。
プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
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