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2017. 09. 08  
日曜日に与えられたⅡペトロ2:1-10の御言葉を改めて思い返しています。真理の道から迷い出させる偽教師たちに気をつけなさいとの警告でした。

この偽教師たちは「自分を贖ってくださった主を拒否しました(1節)」と言われていました。

「贖う」とは、「買い取る」ということで、キリスト教において大事な言葉です。

聖書の時代にあっては、こういう言葉が日常的に、奴隷の売買で用いられていました。戦争によって敗れた民族が奴隷となって、奴隷市場に並ぶのです。

そんな風に私たち人間は、奴隷の状態にあると聖書は教えます。「罪」という主人に縛られた奴隷であると。

この「罪」の家にいるあいだは、罪の家の習わしに従って生きる。しかし、そこから神によって買い取られ、神の家の奴隷となる。いや、神の家の子とされる。これが救いということです。

Ⅰペトロ1:18には「あなたがたは先祖伝来のむなしい生活から贖われた」ともあります。

罪の家の奴隷として生きるのは、「むなしい生活」です。

どこまで行っても満たされない、何かが足りない、さみしいと思いながら、どうしたらいいか分からないで、心の隙間を埋めるようにして目の前にある快楽に飛びついていく。

でもやればやるほど、ますますむなしさが募っていく。行き着くところは永遠の滅び・・。そういう生活です。

でも神は、私たちがそういう風に生きているのを御覧になって、いてもたってもいられずに、買い取ろうとしてくださったのです。

君はそんな風に生きていていい存在ではない。そんなに安い存在ではない。

私の家の子として、命に通じる真理の道を歩みなさい、と。

善き生活、それは魂が喜ぶ生活です。神の家には、そういう生活を送る文化がある。

あなたにはそういう生活をしてほしい・・そう願ってくださって、買い取ってくださる。これが「贖い」ということです。


共に祈りましょう。

主よ、イエス・キリストの尊い命と引き換えに、あなたによって買い取っていただいたこの魂・・。あなたによって与えていただいた私自身の値打ちを、私が、本当に私のものとすることができますように。聖化の導きを与えて下さい。
2017. 07. 06  
先の日曜日には、Ⅱペトロ1:20-21にある、聖書の読み方にまつわる教えを聴きました。

「何よりもまず心得てほしいのは、聖書の預言は何一つ、自分勝手に解釈すべきではないということです。なぜなら、預言は決して人間の意志に基いて語られたのではなく、人々が聖霊に導かれて神からの言葉を語ったものだからです。」

特に心にとまるのは、「自分勝手に解釈すべきではない」との教えです。

自分に都合のよいように読むのでなく、拾い読みではなく、神が伝えようとしておられることをそのままに受け取るようにと、教えられています。

しかしこれは、言うのは簡単ですが、実に難しいことですね。人間には不可能とも言える。

神さまの語りかけに、まったく抵抗感や違和感を感じることなく、聖書を読むことは不可能です。なぜなら、私たちは罪人だからです。

神さまの言葉に、「いや、そうおっしゃいますけど、実際は・・」と、いちゃもんをつけてしまう。

このかたくなさ。神の言葉を拒むかたくなさ・・。ここにこそ、罪ということの本質があります。

「わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり・・わたしの思いは、あなたたちの思いを高く超えている」とも言われています(イザヤ55:8-9)。

神さまが聖書を通して私たちを導こうとしておられるところは、私たちの小さく狭い心で考えているところよりも、はるかに豊かで高いものです。

だからこそ、思います。わたしたちが本当に聖書をちゃんと読み、正しく解釈し、神の語りかけを素直に受け取ることができれば、どれほど豊かな祝福の世界が広がることだろうか・・。

まずは、祈ることから始めましょう。

主よ、聖書を読むことができるようにしてください。正しく理解させてください。私の小さくかたくなな心を砕いてください。そして、もっと深く、広く、高く、大きく、まだ私の知らない、御言葉の恵みの世界へと連れて行ってください。
2017. 06. 20  
日々の御言葉を再開します。

今、勝田台教会の礼拝ではⅡペトロ書を連続講解しています。

先の日曜日には、「自分が世を去った後もあなたがたにこれらのことを絶えず思い出してもらうように、わたしは努めます」との、ペトロの決意を分かち合いました(1:15)

自分自身の死を間近に覚えながら、地上の命を最後の一滴までしぼりつくすようにして、ペトロは信者たちを励まそうとしました。

イエス・キリストを正しく「知る」ことができるように、と。

「知る」というのは、Ⅱペトロの鍵語です。

それは、正しい知識を持つことです。そうしてイエス様についての知識を得るほどに、イエス様との友情が深められます。深いお付き合いへと招かれます。

「知る」ということは、そのように人格的に「知り合う」ということを含みます。

そのようにして、イエス・キリストを正しく「知る」ことのすばらしさ!!

それを、ペトロは伝えたいのですね。なんとしても。

自分のことなど全部忘れてもかまわないから、わたしが世を去った後も、イエス様を「知る」喜びがいつまでもあなたがたにとどまるように。

そのために、わたしは努める。命が尽きるその時まで。イエス様を知ってほしい。もっと深く知ってほしい。そうでなきゃ、本当にもったいないから・・。

私も、ひとりの牧師として、同じ思いです。だから、この配信をはじめとして、できるかぎりのことをしようと思います。

みなさんも、ぜひもっと「知る」ことができるように努めてみてください。聖書を熟読し、教理を学び、イエス様についての正しい知識を持ってください。



共に祈りましょう。

主よ、あなたの愛の高さ、広さ、深さ、大きさを、まだ私たちはほとんど何も知りません。どうか、もっと知ることができますように。そして、信仰生活の喜びをもっともっと開いてください。自分で小さくストップをかけてしまう私たちを砕いてくださって、あなたと共に生きる喜びに満たしてください。
2017. 02. 02  
今週の日曜日の礼拝では、Ⅰペトロ3:17-22を分かち合いましたが、その中で「ノアの時代に箱舟が作られていた間、神が忍耐して待っておられたのに従わなかった者」とありました(20節)。

「神様が『忍耐して待っておられる』ということを、はじめて考えました」との感想もいただきましたので、そのことに関して少し聖書研究してみましょう。


同じペトロが書いた、Ⅱペトロ3:9にはこうあります。

「(最後の審判の日が到来することに関して)ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。」

このように、神は罪人の滅びではなく、悔い改めを待っておられます。願っておられます。その忍耐こそを、神の愛というのです。

「愛は忍耐強い(Ⅰコリント13:4)」とあるとおりです。


旧約聖書エゼキエル33:11にこうあります。

「・・・わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。」

あるいは、Ⅰテモテ2:4にはこうあります。

「神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。」

これが、人間に対する神の思いです。神の愛です。


長くなりますので、続きはまた明日にします。

詩編145:8-9に導かれて、共に祈りましょう。

「主は恵みに富み、憐れみ深く、忍耐強く、慈しみに満ちておられます。主はすべてのものに恵みを与え、造られたすべてのものを憐れんでくださいます。」

主よ、あなたの愛に感謝します。その愛に応えるにはどうすればよいでしょうか。今日の日に、あらゆる場面において、そのことを思い巡らしたいと思います。主よ、わが魂を導いてください。



2013. 11. 05  
最後の審判と言うけれど、そんな時はいつまで経っても来ないではないか?

こういう疑いに対する答えです。

「愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。

主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。

そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。(Ⅱペトロ3:8-9)」

先週、ある方との大切な語らいを通して、思い起こした御言葉です。


大事なのは、今日も主は、私たちが悔い改めるのを、忍耐して待っておられる、ということです。

悔い改める。すなわち、自分の罪を知り、これまでの歩みを悔い、これからは主のために生きようと向きを変える。

信仰を持っているからといっても、誰もがまことの悔い改めに至っているわけではありません。

若い時には分からなかったことが、長い生涯を歩んでくる中で、ようやく分かってくる・・、そんなこともあります。

主は、信じる者の罪を赦してくださいます。でも、その赦しの恵みが分かるまで・・、すごく時間がかかるものです。

主は、あなたの悔い改めを、ずっと待っておられます。ずっと待っておられたのです。


共に祈りましょう。

主よ、今日もあなたは、私たちの悔い改めを待って、新しい一日を与えてくださったことを感謝します。このように祈りながら、悔い改めるとはどういうことか、少しも分かっていない自分がいます。主よ、この心を砕いてくださって、まことの悔い改めに至らせてください。
プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
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