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2015. 12. 11  
黙示録7:14-17は、終わりの時に約束されている究極の慰めです。

ローマ帝国による迫害の時代、殉教者たちに平安を与えたのはこの約束でした。

「・・彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。それゆえ、彼らは神の玉座の前にいて、昼も夜もその神殿で神に仕える。

玉座に座っておられる方が、この者たちの上に幕屋を張る。(=大いなる神が、彼らとともに住む!!)

彼らはもはや飢えることも渇くこともなく、太陽も、どのような暑さも、彼らを襲うことはない。

玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へ導き、神が彼らの目から涙をことごとくぬぐわれるからである。」


キリストに従いゆく愛と正義と真実の道は、世の流れに逆らう苦しみ多い道かもしれませんが、この大いなる慰めへと至るための「産みの苦しみ」の日々です。

この終わりの約束を、本気で見据えて生きることができるかどうかで、その人の地上の人生の質も、大きく異なることでしょう。


共に祈りましょう。

主よ、私たちの霊の目はにぶく、地上の事柄に心は居付いてしまいます。あなたの約束してくださっている終わりの時の喜び、慰めを、もっと豊かに教えてくださって、今の私を作り変えてください。
2014. 11. 29  
今日は、船橋高根教会でバチコイ★アドベントという、中高生のクリスマス会があります。

本当は、まだアドベントにも入っていないので、一足早すぎるのですが、祝福をお祈りください。

明日の日曜日から、アドベント(待降節)が始まります。

アドベントは、救い主イエスがこの地上に生まれてきてくださった恵みを覚え、主をこの心にお迎えできるように、祈って備える時です。

また、この期間は、終わりの時に、再び来てくださる主を待ち望む思いを、新たにする時でもあります。

かつて内村鑑三は、戦争をなくすことのできない人間の現実に、

「罪」の深刻さを見つめ、主の再臨を待ち望む「神の国運動」を起しました。

わたしたちも今、「主よ、来てください。あなたの義と愛と平和に満ちる世界を、来たらせてください」と、祈りを集めたいと思います。


聖書の一番最後、黙示録22:17、20をもって、祈りに変えさせていただきます。


「“霊”と花嫁とが言う。『来てください。』これを聞く者も言うがよい、『来てください』と。

渇いている者は来るがよい。命の水が欲しい者は、価なしに飲むがよい。

・・・以上すべてを証しする方が、言われる。『然り、わたしはすぐに来る。』

アーメン、主イエスよ、来てください。

主イエスの恵みが、すべての者と共にあるように。」
2014. 11. 15  
昨日、日本キリスト教史の授業で、教会の戦争協力の過ちを学びました。

日本のキリスト教会は、大東亜戦争と称された侵略戦争を、「聖戦」と呼んでしまいました。

「皇国必勝ノ為」に決起し、「断固驕敵ヲ撃摧」し、それによって「宸襟(しんきん=天皇の心)」を安らかにさせ奉るのだと、「日本基督教団決戦態勢宣言」にあります。

他にも、当時出された公的な文書は、目を疑うものばかりです。

若い時に、この歴史的事実を初めて知った時は、ショックで二日ほど寝れなかったと、教授は言いました。

軽率に過去を裁くことはすべきでありません。

敵性宗教を信じる非国民呼ばわりされる中で、教会を守り、信者を守ろうと悩みぬいたことも想像します。

しかし残念ながら・・・、本当に守るべきものを、守ることができなかったのではないでしょうか。

「国体護持」に仕えるキリスト教会とは、一体何だったのでしょうか・・・?


ヨハネ黙示録は、ローマ皇帝に決してひざまずこうとしなかった、迫害下の信仰者に対する慰めと励ましの言葉です。

「ここに、神の掟を守り、イエスに対する信仰を守り続ける聖なる者たちの忍耐が必要である。・・今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである。・・然り。彼らは労苦を解かれて、安らぎを得る。その行いが報われるからである。(14:12、13)」

「イエスに対する信仰」を保ち、「主に結ばれる」幸いにとどまり続けたいと、この朝、強い祈りが与えられています。

私たちは、過去をただ裁くのではなく、過去から学び、未来を変えねばなりません。


共に祈りましょう。

主よ、今この時代に、他の何者にも支配されず、ただ主キリストだけに従い、愛と平和と真実と正義に生きる、そんな「まことのキリストの教会」にならせてください!!
2014. 06. 07  
今週も最後の一日となりました。最初の一日に与えられた御言葉を思い返しましょう。

「人の子は安息日の主なのである」すなわち、わたしこそ安息日の祝福を体現する者だと、イエス様は教えてくださいました(マタイ12:8)。

「安息日」とは、キリスト教会では日曜日のことです。

神様に集中して、神様の祝福に満たされて、神様のもとで魂に休みをいただく(霊的安息)。

そういう日が人間には必要です。

そもそも「安息日」というのは、終わりの時に訪れる新天新地において与えられる、永遠の安らぎを先取りして与えていただく日でした。

黙示録21:1-4「わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。・・・・・神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」

この、すべての労苦から解放された永遠の安らぎ、神のもとでの安らぎ、これを少しだけ味見させていただいて、疲れを回復させていただく、それが安息日というものです。

イエス様という方は、そういう安息日が指し示している、永遠の安らぎを与えてくださる方なのです。


共に祈りましょう。

安息日の主イエスよ、今、罪の悲惨の中で、疲れている者たちを、病んでいる者たちを、痛んでいる者たちを・・、どうかあなたのもとで、安らがせてください。
2014. 02. 11  
今日は2月11日。「建国記念の日」とされていますが、これは日本書紀にある神武天皇の即位の日であり、戦前の国家神道において「紀元節」と呼ばれていた日です。

大日本帝国においては、「天皇」は日本国民が崇め、命をささげるべき「現人神」とされ、キリスト教会も天皇崇拝や神社参拝を強制させられました。

そんな「天皇教」と言ってもいいような国家神道体制を復興させたい勢力が、特にこの数年勢いを得ています。

「紀元節=建国記念日」というのは、そんな天皇教の一大イベントです。

ですから、日本のキリスト教会では、この2月11日を「建国記念の日」ではなく「信教の自由を守る日」ととらえなおし、聖書において自らを啓示されるただ御一人の神様への信従を、改めて確認する時としています。

黙示録19:11-16をお読みください。

黙示録は、ローマでの皇帝崇拝を拒んで迫害されたクリスチャンたちに、主イエスの勝利の希望を伝える書です。

「そして、わたしは天が開かれているのを見た。すると、見よ、白い馬が現れた。それに乗っている方は、『誠実』および『真実』と呼ばれて、正義をもって裁き、また戦われる(黙示録19:11)」

この方こそ、「王の王、主の主(16節)」であるイエスです。

改めて、この方を見上げる一日としていただければと願います。



共に祈りましょう。

万物の支配者である主よ、日本の国をかえりみてくださり、かつてのように、思想・良心の自由がおろそかにされる国にならないようにしてください。

今すでに、さまざまな圧迫を受けて苦しんでいる人たちを助けてください。

「日本人なら当たり前」と迫ってくる、悪しき強制に対抗することのできる信仰の勇気と、知恵と力を、弱い私たちに与えてください。

プロフィール

勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
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