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2017. 12. 12  
今、アメリカのトランプ大統領が、エルサレムをイスラエル国の首都と認定したために、大変な状況になっています。

この問題は、私も不勉強なこと多く、一言でまとめることなどできません。

今の「イスラエル」という国は、第二次大戦後に建国されました。

「よそ者」として世界中に散らばっていたユダヤ人が、失ってしまった自分たちの国を回復しようと、約束の地カナンに再び戻ったのです。

しかし、その地には、すでにアラブ人の国がありました。でも、それを追い出すようにして、イスラエル国は誕生しました。

今も継続しているパレスチナとの戦争の歴史は、その時から始まる悲しみです。

今回のエルサレム首都認定問題は、そのような微妙な均衡を無視して、過度にイスラエル国に肩入れする主張だと、各国から非難がされています。


聖書の舞台になっているのは、そういう混乱と争いの場所です。

そして、エルサレム、またカナンの地というのは、大国の利害関係に翻弄されて、古代からずっと戦争の絶えない場所でした。

そういうところに、救い主イエスはお生まれになりました。

敵を愛していたらこちらが殺されるような場所で、イエス・キリストは、それでも「敵を愛せ」と語られたのです。平和を造りだす者は幸いであると語られたのです。

「ひとりのみどりごがわたしたちのために生れた。
ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。
権威が彼の肩にある。
その名は、『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と唱えられる。
ダビデの王座とその王国に権威は増し、平和は絶えることがない。(イザヤ9:5-6)」


共に祈りましょう。

主よ、世界は今、様々な場所で憎しみが連動し、緊張が高まっています。主よ、平和の君よ、わたしたちの心を造り変えてください。私たち一人ひとりの生活にも、どうか平安を満たしてください。ささくれだった心をいやしてください。
2017. 12. 08  
昨日、大学の聖書考古学の授業で、大アッシリア帝国のことを学びました。

140年におよんで古代オリエント全域を制した、最初の世界帝国です。

イスラエルの民は、そのアッシリアによって300年にわたる脅威を受け続けてきました。

そうしてついに、紀元前721年、大王ティグラト・ピレセルによって、北イスラエル王国が滅亡に追いやられます。(※ ダビデに始まるイスラエル王国は、三代目のレハブアム王の時に、南北に分裂します)

その時の様子が、列王記下17章に書かれています。ぜひご確認ください。


今は、「メシアを待ち望む」をテーマに、アドベントの時を過ごしています。

イザヤ書8:23~9:6に、有名なクリスマスの預言があります。「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた」というところです。

この預言も、実はアッシリアによる北イスラエルの滅亡と深い関係があります。

8:23には、このように書かれています。

「先に、ゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが、後には、海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは、栄光を受ける。」

この言葉の背景には、列王記下15:29に書かれている歴史があります。

アッシリアに攻められて、ゼブルン、ナフタリ、またガリラヤという土地の人々が捕えられ、異国に強制移住させられたのです。

イスラエルの歴史というのは、そういう挫折と苦難の連続です。

預言者イザヤは、そういう絶望の時代を、実際に目の当たりにしながら、・・・しかし、その暗闇に光が輝く時が来ると、「メシア」の到来を預言したのです。


共に祈りましょう。

主よ、この地上の歴史において、強き者たちの暴力によって、弱き者たちの血と涙が流されてきました。たくさん、たくさん流されてきました。今も流されています。主よ、憐れんでください。イエス・キリストの愛と平和を満たしてください。
2017. 12. 07  
クリスマスとはどういう時であったか、ほとんどの人は知らないままに、毎年お祭りされています。

もちろん、それはイエス様がお生まれになった時です。そして、もう一歩進んで、イエス様がどういう希望を背負って生まれてきてくださったのかを覚えたくて、このシリーズに取り組んでいます。

偉大な王ダビデの再来としての「メシア」を、ユダヤの人々は待ち望んでいたと、昨日確認しました。

ユダヤの歴史を考えると、その思いがいかに切実であったかが分かります。

ユダヤ人と聞いて思い出すのは、何と言っても、ナチスによって虐殺された人々というイメージでしょう。

どうしてそんなことになったかといえば、彼らが国を持たない民として、ドイツなどの国で「よそもの」として生きていたからです。

なぜ「よそもの」にならねばならなかったかといえば、それは紀元66年から73年のユダヤ戦争で、ローマに反旗をひるがえした結果、徹底的に滅ぼされたからです。

そこへと至る歴史は、複雑すぎて、簡単には書けません。ローマやシリアの圧迫に苦しみ続けた、波乱の歴史でした。

その波乱のはじまりは、紀元前586年のバビロン捕囚という悲劇です。

そのとき、ユダヤ人は一度決定的に滅びを経験し、国を失い、「よそもの」として生きる宿命がはじまったのです。


そのような歴史を背景にして考えれば、どれほど切実に、「メシア」が待ち望まれたかが分かるでしょう。

国を立て直し、争いと苦難の歴史に終わりをもたらしたもう、偉大な王・・・。

イエス・キリストは、そういう希望を背負って、生まれてきてくださったのです。


共に祈りましょう。

主よ、はるかな歴史をかえりみながら、イエス様が生まれてきてくださったことの意味を考えております。どうか主イエスのもとで、神の義と愛と平和の王国が、立て上げられていきますように。主よ、御国を来たらせたまえ。
2017. 12. 06  
今はアドベントの時ですから、「メシアを待ち望む」という信仰を新たにしましょう。

「メシア」とは、ヘブライ語で「油注がれた者」という意味です。それをギリシャ語にすると、「クリストス」になります。これが、すなわち「キリスト」です。

油を注がれるというのは、深い象徴的行為です。

王や祭司、あるいは預言者として、特別の力と権威を与えられて、神から指名された者であるということのしるしです。

特別に大切なテキストは、サムエル記上16:12,13にある、ダビデに対する油注ぎです。

名もなき羊飼いであったダビデ。7人兄弟の末っ子として、軽んじられていたダビデ。

しかし、この容姿端麗で聡明な若者を、預言者サムエルが見出して、油を注ぎます。その場面です。

「・・エッサイは人をやって、その子を連れて来させた。彼は血色がよく、目は美しく、姿も立派であった。

主は言われた。『立って彼に油を注ぎなさい。これがその人だ。』

サムエルは油の入った角を取り出し、兄弟たちの中で彼に油を注いだ。その日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになった。・・」



こうして油注がれたダビデは、偉大な王としてイスラエル王国を樹立します。

このダビデのような偉大な王が、再び到来することを、人々は待ち続けたのです。クリスマスというのは、そういう偉大な王の誕生の時です。


共に祈りましょう。

主よ、今アドベントの時、私たちのために生まれてきてくださった方は、どういう方なのかを、私たちがよく覚えることができますように。世界が混乱する今の時代、真に偉大な指導者であるイエス・キリストのもとに、立ち返ることができますように。
2017. 12. 05  
「主の祈り」の学びを終えて、今日からは、クリスマスに向けて、「メシアを待ち望む」ということを覚えましょう。

今はアドベント(待降節)です。それは、かつて来られた「メシア」が、再び来てくださることを待ち望んで過ごす日々です。

私たちキリスト教会は、イエス様が「メシア」だと信じる者たちです。

その信仰は、より丁寧に見ていくとどういうものであるのかということを、明日から覚えていきましょう。

今日は、まず最初にイザヤ52:7-10の御言葉を大事に覚えてください。

「いかに美しいことか、山々を行き巡り、“良い知らせ”を伝える者の足は。

彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え、救いを告げ、あなたの神は王になられた、とシオン(=エルサレム)に向かって呼ばわる。」


ここに「良い知らせ」とあります。これがグッドニュース。新約聖書の言葉遣いで言えば、「福音」です。

その「福音」とは何であったか。「あなたの神が王となられた」ということでした。

神様が、王様として君臨してくださって、わたしたちを守って下さる、ということです。


イスラエルの人々は、自分たちの背信ゆえに、国を失い、バビロンに捕囚され、異教の民に牛耳られました。

美しの都エルサレムも、すっかり廃墟となってしまいました。

でも、そんなイスラエルの人々を再び立ち上がらせるために、神が王となって、エルサレムに帰還してくださる。これが希望です。

それは具体的には、神が、ひとりのまことの王を遣わしてくださる、という希望でした。

その王様のことを、「メシア」と呼ぶのです。


共に祈りましょう。

主よ、私たちの王よ、今日もあなたの偉大な力によって、貧しい者たちを守り導いてください。あなたによく従うことができますように。アドベントの時、メシアを待ち望むということを、よく考えることができますように。

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勝田台の牧師

Author:勝田台の牧師
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