FC2ブログ
2018. 01. 09  
今年から4年間の勝田台教会の目標は、「神の国と教会の前進」です。

「神の国への招き」ということが、聖書の最大のテーマです。イエス様の宣教も「神の国は近づいた。だから悔い改めて、福音を信じなさい」というものでした。

神の国、それは天国とも、御国とも、キリストの王国とも言い換えられます。

ギリシャ語では「バシレイア」で、原意は「支配」です。だから、神の国とは、神の支配だとよく言われますね。

神様が王様として君臨し、すべてをよく支配してくださる。愛と正義と平和の世界をもたらしてくださる、ということです。

それは夢物語のようで、どういう世界なのか、私たちには想像することもできない。

むしろ、逆のことを想像してみるといいでしょう。

罪深い悪しき思いで、この世界が、また私たち自身の心が満たされる、支配される・・。

それならば、容易にイメージができるのではないでしょうか。

その悲惨な世界にはっきりと背を向けて、神の愛と平和がこの身に満ちるように求めるのです。神の希望が世界に満ちるように求めるのです。

イエス様は言われました。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。(マタイ6:33)」


共に祈りましょう。

主よ、あなたが教えてくださったように、御国を来たらせたまえと、何よりもまず祈ります。私たちがまず最も根本において、この祈りにおいて一致することができますように。
2018. 01. 05  
昨日に続いて、マタイ24:3-14の、終末のしるしについてのイエス様の教えを確認します。

その最後のところです。「12節 不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。」

愛が冷える、というのです。

信仰と希望と愛、その中で最も大切なものは愛であると言われました。その愛が冷えるのです。

不法がはびこり、権力者がやりたい放題。倫理は崩壊し、お金で買えないものの価値が見失われていく・・。今も、それに近いでしょうか・・。

そういう時には、最初に愛が冷える。神への愛が冷え、隣人への愛が冷えます。

「13節 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」

最後まで耐え忍ぶ。それは、愛をあきらめないということかもしれません。

独り子をお与えになった神の愛をどこまでも見失わないで、その「熱さ、あたたかさ」を確認しながら、冷え切った時代を生きるのです。

ひとりでは、すぐに冷たくなってしまいます。だから、互いに体をあたためあうように、二人または三人で祈りあい、愛し合うのです。

愛と平和の神の国は、わたしたちのうちに始まっていると、堂々と証しするのです。

そのようにして愛し合う群れをとおして、「14節 御国の福音が、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る」と言われています。


共に祈りましょう。

主よ、この2018年も、表層上の繁栄や笑い声の裏で、多くの人の愛が冷え、確実に冷え続けていることを思わされます。主よ、愛をください。最も大切なものを、わたしたちのうちに満たしてください。
2018. 01. 04  
昨日の新年祈祷会では、マタイ24:3-14を分かち合いました。ここは、新共同訳では「終末の徴(しるし)」と表題がついています。

「終末」、それは主イエスの再臨の時にもたらされる、救いの完成の時、永遠の神の国が到来する時です。

それは、主イエスを信じる者たちにとって、すべての涙をぬぐわれる完全な希望の時です。

この希望の時を待ち望み、この希望へと人々を招く共同体、それがキリスト教会です。

しかし、その「終末」が訪れるまでには、試練の時が続くのですよ・・・それが、イエス様が教えてくださったことでした。

イエス様は、「産みの苦しみ」と表現されました。イエス様のお好きなたとえです。

その苦しみの向こうには、出産のはじける喜びが与えられます。その時には、痛みさえも忘れます。でも、その前には、大きな苦しみ・痛みをくぐりぬけねばなりません。


そういう「産みの苦しみ」が様々に挙げられます。そのひとつとして、「戦争」ということも挙げられていました。

マタイ24:6「戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。」

今年は年明けから、「核のボタンは私の机の上にある」とのおぞましい挑発の応酬がなされています。

最悪の事態が起こるかもしれません。でも、どんなことがあっても「慌てないように気をつけなさい」とイエス様は教えてくださいました。

そういうことは起こったとしても、何の不思議もありません。人間が、罪人であるからです。

でも、その絶望は「産みの苦しみ」の始まりなのです。その苦しみの中で、私たちの地上の命も失われるかもしれない。でも、その苦しみの向こうに終末の希望が必ず来る。

これが、キリスト者の持つ、希望の歴史観です。

その苦しみを経ることで、はじめて心の向きを変える者もあらわれるでしょう。神は、それを待っておられます。


共に祈りましょう。

主よ、この2018年にどんなことが起ころうとも、希望を失わず、慌てないでいることができますように。しかしまた、希望の人として祈ります。主よ、願わくは地上に平和を与えてください。私たちの愚かさを砕いてください。


2017. 12. 28  
今日は午前中に、長老任職準備会がございます。候補に立てられた兄弟の学びと備えのためにお祈りください。教会員の一致した祈りが必要です。

新しい長老、また執事の候補者が備えられたことは、今年私たちの教会に与えられた最大の祝福と言っても過言ではないと思います。

それぞれに主からの召しに応答して、恐る恐ると、でもほほ笑みながら、新しい歩みに踏み出そうとしておられます。

改めて思いますのは、主は本当に、一人一人の個性を生かして、教会を建て上げていかれるということです。

イエス様の12弟子がそれぞれ個性豊かであったように、私たちの教会の長老・執事も個性豊かです。

それぞれに得意なこともあれば、苦手なこともあります。

Ⅰコリント12章に示された、キリストの体のたとえを思い出します。それぞれの部分が、それぞれの役割を担って、体を形成していきます。

成長させてくださる聖霊の導きは多様で色鮮やかです。理想のモデルはひとつだけじゃありません。

自分にはどういう役割が与えられているだろうか・・と、役員だけでなく、みんなで考えたいことです。


また、賜物というのは、与えられる量がそれぞれに違うということも、健全に自覚しておきたいものです。

マタイ25章のタラントンのたとえにありますように、5タラントン預かる者もいれば、1タラントンだけ預かる者もいる。

そこには差があるのです。それは、優劣ではなく、神様から与えられている役割の違いです。

預けられている能力が違うから、仕事の量や成果においても、違いが生じるのは当然です。でも、そこに優劣を見出すべきではない。

大事なのは、その人が、主に忠実であったかどうかだけです。

タラントンのたとえでも、主人は僕たちの生み出した成果の大きさの違いなど、少しも目を留めていません。

自分に与えられた能力の分をわきまえて、最大限に用いられるように、なまけずに仕えていく。

そうすれば、「忠実な良い僕だ」と主はほめてくださいます。そして、天に約束されているものは、あまりに豊かです。


共に祈りましょう。

主よ、私たちの教会に多様な賜物をもった長老・執事を与えてくださっていることに、あなたの教会への愛を強く覚えます。本当にありがとうございます。今、3人の方々が任職に向けて準備しておられます。主よ、どうか助けてくださって、あなたに忠実な心を備えてください。


2017. 09. 06  
今、説教の学びとしてウィリモンというアメリカの有名な神学者の本を読んでいます。

彼が言うには、アメリカにおける最近の流行の説教は、「幸福な人生を過ごすための知恵を与えるもの」です。

それが、人々の聞きたいことだからです。そういう教会には人が集まります。

しかし、そうしたアドバイスのほとんどは、キリストの教会じゃなくても与えられるものだと、彼は嘆いています。

どうしてそこに、わざわざ主イエスの名前を持ち出す必要があるのか・・。

聖書を読む限り、主イエスは、私たちがこの地上でハッピーに過ごせるかどうかには、ほとんど関心がないように思えるのだが・・と。


アメリカは、すでにキリスト教国という内実を備えてはいません。忠実にイエス・キリストに聞き従おうとする人は、ごく少数です。

しかしウィリモンという人はおもしろい。彼の説教は「他の人と違ったことをしよう。主イエスに従う、へんてこで特殊な存在になろう」というものです。

ほかの人と同じことをしていてもおもしろくない。主イエスに従おう。ほかの人のことなんかどうだっていいじゃないか。

だって主イエスは、「狭い道を行こう」と招いてくださったからです。

「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。(マタイ7:13)」


私自身、ややひねくれた若者でしたが、キリスト者として歩もうと決めた時に、「この道こそ、一番の変わり者の道だろう」と考えていたことを思い出しました。


ともに祈りましょう。

主よ、あなたの御名があがめられますように。御国が来ますように。あなたの御心が、この地上になりますように。わたしたちの心が、あなたの御心に沿うものとなりますように。どうか私たちが、イエス・キリストという真理の道を、歩んでいくことができますように。
プロフィール

茅ヶ崎の牧師

Author:茅ヶ崎の牧師
FC2ブログへようこそ!

検索フォーム
カテゴリ
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR