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2020. 05. 29  
次の主日は、ペンテコステ記念礼拝です。ペンテコステは、教会の世界宣教のスタート地点とも言えます。

ちょうどローマ1:14-15が、それにふさわしい御言葉ですので、「すべての人に福音を」との題で分かち合います。

並行して読む旧約聖書のヨナ書4章の御言葉については、まったく触れることができませんので、ここで少しだけ。

ヨナという預言者はアッシリア帝国の首都ニネベに行って、人々に悔い改めを迫れと神様から命令を受けるのですが、嫌だと言って逃げようとするのですね。

それは、ニネベの都が悔い改めて滅びを免れるようになるのを、彼が望まないからです。そうなってほしくないのです。

アッシリアというのは残虐な帝国で、イスラエルも苦しめられてきました。そんな悪い連中が、悔い改めることで神の裁きを免れるなんて赦せない。

だから嫌だ、やりたくないと逃げる。でも結局ニネベに行かされて、町中を歩き回って悔い改めを迫ると、みんな掌返して悔い改めると言い出しまして、滅びを免れる。

それでヨナはむくれてしまう。だから嫌だって言ったじゃないですか。神様はそうやって赦してしまうって分かっていたんだと文句を言う。

でも神は、「まあそう言うな」と、お前にとってトウゴマの木が惜しいように、私にとってニネベの都が惜しいのだと、ヨナを諭されます。それが4章です。

現代のニネベ、それは東京であり北京でありニューヨークかもしれません。そこには、「右も左もわきまえない」何千万もの罪深い魂がうごめいている。

でも、みんな救われるべき人です。神はその独り子をお与えになるほどに、罪深いニネベを愛されました。それは、独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためです。

そのために、独り子を与えてくださった。送ってくださった。それが、神ご自身の「世界宣教」の熱情の根源です。

キリストの教会は、その熱情に押し出されて、世界のすみずみにまで福音を伝えるのです。


共に祈りましょう。

主よ、今、ウィルス感染の問題ゆえに、人との出会いが制限されてしまったこの時代、福音の宣教の難しさを覚えています。でも、この時代ゆえに、人々は自分たちが抱えていた根源的なあやまちに気づき始めていることも感じています。あなたが定めておられる、悔い改めの時であるのかもしれません。どうぞ主よ、貧しい器を用いてくださって、あなたの世界宣教を進めてください。
2020. 05. 28  
先の主日には、ローマ1:8-12を分かち合い、信仰者相互の交流による励まし・慰めということを特に考えさせられました。

説教を聞きながら、ご自分にとってのなつかしい方々の姿が、次から次へと思い出されて涙がこみあげてきましたと、お伝えくださった方もいました。

私たちそれぞれに、信仰の道をいっしょに歩んでくれた、友がいて、恩師がいて、家族がいるのだと思います。

わたしたちの信仰は、尊敬すべき他の信仰者との出会いを通して始まりを与えられ、またその人格的感化によって成長します。

内に聖霊を宿すわたしたちそれぞれの人格が、神によって用いられて、だれかの救いのための導きの光となるのです。

キリスト教信仰とは、そういう人格的な信仰です。それは人間的というのではなく、人格的なのです。

人となって私たちのところに来てくださった神の子との「人格的出会い」によって生まれたキリストの教会は、こういうことをもっと大切にしないといけないのです。

聖書をひとりで読んで、信仰に導かれ、孤独な信仰生活を送っておられるという方もいるかもしれません。

でも、そういう方に聖書を作って届けたのはまぎれもなく、これを手に取る人の救いを真剣に祈り求めた具体的な信仰者たちなのです。


共に祈りましょう。

主よ、あなたの大いなる救いの歴史の中で、いったいどれほどの信仰者たちが生きて、そして死んでいったことか。その先人たちの受け継いできてくれた命のバトンが、今日、私の手の中にあります。これを手渡すべき人との出会いを、今日、与えてください。主よ、キリストにつながるすべての兄弟姉妹に祝福がありますように。彼らを通して、救いの喜びが広がりますように。
2020. 05. 27  
先の主日はローマ1:8-12を分かち合いました。

礼拝説教の録画は、こちらから確認することができます。2020年5月24日湘南恩寵教会主日礼拝「励まし合おうよ」ローマ1:8-15①


特に興味深かったのは、11-12節の言葉の流れです。

「あなたがたに、私の霊の賜物を分け与えて(=福音の説教をして差し上げて)、あなたがたを力づけたいのだ」と、ちょっと力んでパウロが言います。

でも、そのすぐ後で、「いや、そうじゃないな・・、むしろ」と言い直します。

「むしろ、あなたがたと互いに励まし合いたいのだ」と。

あなたがたに会いたいのは、「あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです。(ローマ1:12)」

パウロという人は、その伝道者としての生涯において、常に苦難にさらされ、恐れと不安、そして孤独な日々でした。

そういう彼にとって、同じ信仰を持っている仲間と、語り合い、肩を抱き合い、ひざ突き合わせて祈り合う・・そういう具体的な時間が、何よりのいやしと励ましだったのでしょう。

私たちはそれぞれ、日本という極めて特殊な霊的状況にある国で、不思議な仕方でキリスト信仰をいただいた、奇跡のような存在です。

そういう者たち同士、それぞれの持っている信仰によって、互いに励まし合って、今日も歩みたいですね。

自分という存在が、自分のこのちっぽけな信仰が、そのようにして、誰かの励ましのために用いていただけるのだということも意識して。


共に祈りましょう。

主よ、あなたが与えてくださった信仰の仲間たちに感謝します。遠く離れていても、同じ空の下で、主を見上げて歩む私たちです。それぞれの道は違いますが、不安なことはたくさんありますが、祈って、励まし合って、主よ、あなたについていきたいと願います。主よ、あなたがその私たちと、共にいてくださることを、今日も強く確信しています。愛する兄弟姉妹をお守りください。そして、この祈りの交わりへと、まだ見ぬ神の民をお招きください。
2020. 05. 26  
先の主日はローマ1:8-15から分かち合いました。

礼拝説教の録画は、こちらから確認することができます。2020年5月24日湘南恩寵教会主日礼拝「励まし合おうよ」ローマ1:8-15①

「あなたがたのところにぜひ行きたい」と強く願いながらも、「しかし、今は行けない」という事情の中で、「いつかは、なんとしても、どうにかして・・」と言葉を重ねるパウロの様子が印象的でした。

どうして「今は行けない」のか。それは、エルサレムへの旅の必要があったからです。

このローマ書という手紙が生まれた当時のパウロの状況は、ローマ15:22-33に詳しいので、確認してみてください。

帝国の首都ローマを宣教の拠点として、そこからさらに西方イスパニアにまで行こうとする、パウロの大きなヴィジョンも語られています。

しかしその前に、貧しい人々を援助するために、ギリシャの教会からの募金をエルサレムの教会に届けに行かねばならないと書かれています。

その旅は、決して簡単なものではありませんでした。パウロは、死さえも覚悟していました(使徒言行録21:13)。

裏切り者である自分が、ユダヤの人々から命を狙われていると、パウロはよく知っていました。

だから、「わたしのために祈ってください」と呼びかけています。

「どうか、わたしのために、わたしと一緒に神に熱心に祈ってください。わたしがユダヤにいる不信の者たちから守られ、エルサレムに対するわたしの奉仕が聖なる者たちに歓迎されるように・・・(ローマ15:31)。

昔、熊本にいた頃、いろんなことで行き詰っていた私に、先輩牧師が教えてくれました。

「パウロだって、自分のために祈ってくださいとお願いしている。教会の皆さんに、そうやってお願いしてごらん。教会というのは、そういうところから始まっていくんだよ。」

今日も、わたしのために祈ってください。わたしと共に祈ってください。


愛する主よ、互いに祈り合うことができる兄弟姉妹を与えてくださって、本当にありがとうございます。この地上にある限り、私たちには試練があり、霊の戦いがありますから、どうか愛する兄弟姉妹のおひとりおひとりを、あなたにある恵みと平和で満たしてください。これまでに出会ったすべての祈りの友のために祈ります。牧師を持たない群れもいます。どうか主よ、平和の源であるあなたが、おひとりおひとりと共にいてくださいますように。






2020. 05. 23  
土曜日は「あさのことば」の原稿書きにお付き合いいただいてます。

詩編に導かれて祈る。今日は詩編35篇です。

「主よ、あなたはご覧になっています。沈黙なさらないでください。わたしの主よ、遠く離れないでください。わたしの神、わたしの主よ、目を覚まし、起き上がり、わたしのために裁きに臨み、わたしに代わって争ってください。(詩編35:22-23)」

この詩編は、無実の罪に苦しむ人の嘆きです。とても特殊な状況ですが、それぞれに心重なることもあるかもしれません。

では、ご一緒にお祈りしましょう。

主よ、私は疲れてしまいました。人間が信じられなくなりました。

私には何の理由も見当たらないのに、憎まれ、あざけられ、無実の罪を訴えられて、私は追い詰められています。

偽りの証人が次々とあらわれて、私の知らないことばかりを問いつめてきます。

彼らは、私の善意に悪意をもってこたえて、私の魂を孤独にします。

彼らの病の時には、私は必死でとりなしの祈りをしたのに。彼らの友として、兄弟として、ずっと気にかけていたのに。我がことのように苦しんで、ふさぎ込んでうなだれたのに・・・。

主よ、「善をもって悪に打ち勝て」とあなたは教えてくださいました。その言葉に、なおもとどまりたいのです。

だから主よ、どうか立ち上がって助けてください。私と戦う者と戦ってください。

どうか、私の魂に言ってください、「お前を救おう」と。

どうかあなたの正しさを、私ではなく、主よ、あなたの正しさを、私たちにお示しください。

プロフィール

茅ヶ崎の牧師

Author:茅ヶ崎の牧師
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